私の通っていた小学校は二年に一回の計三回しかクラス替えをせず、毎年担任だけ変わる(こともある)学校だった。
一年生から同じメンバーなので二年生になるとかなり仲良くなり、その分遊びや話題もハイコンテクストになっていくので、今思い返すと何が面白かったのか全然わからないことが多々ある。(例:一石三十六鳥)
今も現役の「おくちー」というあだ名はそんな小学二年生の時に生まれたものだ。
私の記憶では、二年生の時にクラスの男子を中心におじいちゃんおばあちゃんの言動や所作を真似することが流行っていた。
二年生初めての体育にて、クラスで1番足のはやい男子が50m8秒台を叩き出す中、スタートダッシュ時に腰をいわせたがために12秒台を叩き出した男子がいて、それが逆にかっこいいという価値観が一部のクラスメイトに生まれたのがきっかけだった。そこから、真っ直ぐ歩けず扉にぶつかる、手を腰の後ろで組んで前屈みになって歩く、プリントを拾うときにぎっくり腰になる(フェイク)といった、老人らしい仕草をわざとやるノリが定着していった。
そして、その流行の発起人であるメンバーたちの集い「老人会」が中間休みや昼休みに行われていた。そのメンバーはお互いを「〇〇じい」「〇〇ばあ」と呼び合っていて、それがグループ外のクラスメイトにもあだ名として定着していた。(〇〇には基本苗字の一文字目と二文字目が入る。田中なら「たなじい」、栗岡なら「くりばあ」という具合)
その老人会のメンバーになりたくて老人の所作を自分なりに真似して「〇〇じい/ばあ」と呼んでもらおうとする人もいたし、逆に老人会のメンバーが非メンバーを急に「〇〇じい/ばあ」式で呼ぶこともあった。
ある日の給食の時間、メンバーの一人が私のことを「おくばあ」と呼んできた。
そして私を「〇〇ばあ」呼びすると「奥歯」と似ているということでツボられるという事案があった(私はあんまり面白くないけどなと思っていた)。その後、少数派ながら「おくばあ」呼びは1ヶ月ほど続いた。
同時期に女子の間で「〇〇子」呼びが流行っていた。(これは六年生まで続く)
浅井なら「あさこ」、寺山なら「てらこ」という感じ。私は「ちーこ」と呼ばれていた。
この二大勢力を足して割ってできたのが「おくちー」という見解である。
どちらの勢力にもそこまで傾いていない女子にある日呼ばれたのだ。
どういう経緯かは鮮明に思い出せないけれど、それはプールの授業が始まった頃だった。その子は小柄で、お着替え用の巻き巻きタオルを頭から被った様子がてるてる坊主を想起させるので「てるちゃん」と私が一方的に呼び始めたら、やり返すように向こうが「おくちー」というあだ名を発明してきたのだったと思う。
その子とは三、四年は違うクラスになったものの「おくちー」はどんどん浸透していった。
そして五年生でまた同じクラスになった時に、自分が考えたあだ名が浸透したことについて誇らしげかつ手柄を示すような雰囲気で主張された。「私が考えたあだ名だからね」的な感じだったと思う。
その時に「このあだ名はこの子が考えたのだったな」と改めて記憶に刻んでおいた。
(「このことは覚えておこう」と思った事柄で今も覚えていることがいくつかある。そのうちのひとつで5歳頃に見たアニメ「ぴちぴちピッチ」の主人公の名前「るちあ」を自分の子供にもつけるべく覚えておいた。多分今となっては名付けないだろうけど、過去の私が忘れないように心の中で暗唱したから忘れたくても忘れられない)
私が通っていた学校はエスカレーター式だったので、中学に進学した後も「おくちー」呼びは順調に広がっていった。男女問わず呼びやすいあだ名なのもここまで広がった理由だと思う。とはいえ、この頃女子からは「ちーちゃん」と呼ばれることの方がまだ多かった。
高校に合格したタイミングでスマホを買ってもらい、母からLINEやSNSは本名で登録するなと言われたため、LINEの名前を「おくちー」にした。これが今後の「おくちー」の定着を盤石なものにしたのだと振り返って思う。エスカレーター式の学校とは言いつつ、北と南の附属中学が高校で一つになるため、まだ見ぬ同級生たちは私のことを本名ではなくグループLINEのプロフィールに表示された「おくちー」という名前で認識することになったのだった。その後始めたTwitterやInstagramを「おくちー」で登録したことも後押しし、同級生のみならず、先輩、後輩、中学では「奥野さん」呼びだった人まで「おくちー」呼びに変わっていった。
高校生になってしばらく経ったある日、あだ名を生み出した子に「あなたが “おくちー” の考案者だ」という話をしたらすっかり忘れられていて、証人がいなくなってしまった。
私は過去の彼女の主張によって記憶を補強したから今でもこんなに覚えているのに。