2021年7月5日月曜日

私の通っていた小学校は二年に一回の計三回しかクラス替えをせず、毎年担任だけ変わる(こともある)学校だった。
一年生から同じメンバーなので二年生になるとかなり仲良くなっていて、その分遊びや話題もハイコンテクストになっていったので今思い返すと何が面白かったのか全然わからないことが多々ある。

今も現役の「おくちー」というあだ名はそんな小学二年生の時に生まれたものだ。

私の記憶では二年生の時にクラスの男子を中心におじいちゃんおばあちゃんの言動や所作を真似することが流行っていた。
そしてその流行の発起人であるメンバーたちの集い「老人会」が中間休みや昼休みに行われていた。そのメンバーはお互いを「〇〇じい」「〇〇ばあ」と呼び合っていて、それがグループ外のクラスメイトにもあだ名として定着していた。(〇〇には基本苗字の一文字目と二文字目が入る。田中なら「たなじい」、栗岡なら「くりばあ」という具合。)

その老人会のメンバーになりたくて老人の所作を自分なりに真似して「〇〇じい/ばあ」と呼んでもらおうとする人もいたし、逆に老人会のメンバーが非メンバーを急に「〇〇じい/ばあ」式で呼ぶこともあった。

ある日の給食の時間、メンバーの一人が私のことを「おくばあ」と呼んできた。
そして私を「〇〇ばあ」呼びすると「奥歯」と似ているということでツボられるという事案があった。

同時期に女子の間で「〇〇こ」呼びが流行っていた。(これは六年生まで続く)
浅井なら「あさこ」、寺山なら「てらこ」という感じ。私は「ちーこ」と呼ばれていた。

この二大勢力を足して割ってできたのが「おくちー」という見解である。

どちらの勢力にもそこまで傾いていない女子にある日呼ばれたのだ。
どういう経緯かは鮮明に思い出せないけれどそれはプールの授業が始まった頃で、その子がタオルを巻いた様子がてるてる坊主を想起させるので「てるちゃん」と一方的に呼び始めたら向こうが「おくちー」というあだ名を発明してきたのだったと思う。
その子とは三年と四年は違うクラスになったが「おくちー」はどんどん浸透していった。
そして五年生でまた同じクラスになった時に、自分が考えたあだ名が浸透したことについて誇らしげかつ手柄を示すような雰囲気で主張された。
その時に「このあだ名はこの子が考えたのだったな」と改めて記憶に刻んでおいた。
(「このことは覚えておこう」と思った事柄で今も覚えていることがいくつかある。そのうちのひとつで5歳頃に見たアニメ「ぴちぴちピッチ」の主人公の名前「るちあ」を自分の子供にもつけるべく覚えておいた。多分今となっては名付けないだろうけど、過去の私が忘れないように心の中で暗唱したから忘れたくても忘れられない。)

高校生になってからその子に「あなたが “おくちー” の考案者だ」という話をしたらすっかり忘れられていて、証人がいなくなってしまった。

私は過去の彼女の主張によって記憶を補強したから今でもこんなに覚えているのに。