2021年10月16日土曜日

こないだの講評メモ

(括弧内は私の感想)

・医療用コルセットのタワーはアンドロイド的。それ単体では存在し得ないはずの拡張身体が、立ち上がることでゴーストのように見える。無視することのできない奇妙な身体性がある。立ち上げる方法が手術の手法によるという点も面白い。(言語化だ…)

・フックの黒色が強すぎるから白がいいんじゃないか。ピンスポも素直にしっかり当てた方が良い。(正直両方あえてそうしないことにしてみたのでふーん…て感じ)

・お洒落なものが並んでいるだけに見えないように。ここからもっと根源的なものに向かっていくのか否か…。(それは本当にそう…)

・自分の身体を起点にコンセプトを組み立てているのはやっぱり強いよね。(ふむ)

・赤いライトに頼らなくても良い展示方法があったのではないか。赤い光には既視感がある。劇画調というか、演出ぽくしてしまっているのは現状オブジェだけではきっと赤いライトがないと物足りないということ。身体の拡張でしょ?爪みたいなもんでしょ?お別れするんでしょ?本当にこれでマックス出せてるか〜!?亀はもっと見せた方がいいし、何匹かいてもいいのかもしれない。歩いてコルセットに到達するとか…?音はもう少し大きくて良い。まずは声をしっかりと聴かせること。(パワー!いつも制作に謎の余裕があるので限界突破がんばります)

・今回は厳しかったが天吊りができる会場なら天吊りしたほうが良い。医療用コルセットのオブジェの歪みが意図的なのであればもっと曲げて意図的であることがわかるようにした方が良い。(仰る通りです…)

・生鮮食品売り場の肉に当てるオレンジの光のようなものを通り過ぎた先の赤ということですね。赤い光は舞台演出において様々な人が様々な意味を持たせて用いているが、そういう(血色が消えることで肉体がモノ化して見える)解釈は初めて聞いた。(生き生きがカンストした先の赤…!)

・卒制とこの作品の関わりはどういうところなのか(→身体への疑いの目と興味という共通点)。造形力があるので作家としてやっていく力があるし、自分の経験を外在化できる強さがある。アーチストが持っているのは自分が納得するために何か違うものに例える力。アーチストは9割9分何らかの当事者である。不思議なものを説明するために、宗教絵画とかね、形にしていく、それが今のアートにつながっている。それが奥野にはあるから。すごく良い作品だと思います。(心強すぎるが、私はこれから何かの仇を取りにいくのか…?)

・映像はモノローグが続くので見る側から関わることができる。医療用コルセットの塔はこちらに委ねてくるものがある。全く関係がないわけではないはずだが実は相反する性質を持っている。気にならない人は多いのだろうけど…お互いが殺し合っている可能性を考えた方が良い。もっと広い空間に離れて配置されていたら気にならなかったのかもしれない。どちらかだけで出す勇気。でも塔だけだとこれの人になっちゃうしね、映像がないとわからない作品だよね。(びっくりするくらいなるほどすぎる、己でその領域に達せるようになりたいね…)

2021年10月5日火曜日

ホームセンター

今日は搬入初日で、足りないものを買い出しにホームセンターへ行った。私が欲しかったのは無反射の黒いテープ。しかしパッと見、両面テープなどがあるテープコーナーには置いていなかった。仕方ないからAmazonで買うか〜とスマホを見ていたら同行者が自分の目的物である粘着テープ付きフックを広い店内から見つけ出し確保しているところに遭遇した。どうやって見つけたのかと尋ねたら、何か大きな力を示唆してきたのち、店員に聞いたと教えてくれた。なるほど、私はこれが欲しかったんですけど無かったんですよねとAmazonの商品ページを見せたところ、同行者はずんずんとどこかへ進み始めた。そして品出しをしている店員に「この人が何か探しているらしいんですけど」と私を指差しながら声をかけた。私は慌ててさっきのAmazonの商品ページを店員に見せた。店員はメーカー違いですけど…と言いながら歩き始め、テープコーナーとは別で更に奥に存在する養生テープコーナーへ私たちを案内した。そこには無反射テープの山があった。普段店員に聞くという選択肢が欠如しているので、この目的商品発見のスピード感にとても驚いた。
「困ったら店員に聞けば良い」という教えを身をもって乞うたが自分にできる自信はあまりない。

2021年10月3日日曜日

色々なこと

・他人の誕生日をカレンダーに書き込んでいくと祝日が増えたように見えて楽しい。

・文章も漫画もめちゃくちゃゆっくりながら少しずつうまくなっていっている気がする。漫画は昔のも全然読み返せるけど文章は自分の元気さに慄いてしまいちょっと厳しい。今メインで使っているTwitterアカウントの初期ツイートにある原作妹の「漫字」はその間の存在であり、正気で見返せるかどうかかなり判断が難しい。

・上を向いてお茶を飲んだらむせて、自分が噴水みたいになったようで面白かった。

・目が悪くなり始めたのは高校生くらいだったので、今も自分のことを眼鏡なしが本当の状態だと思っている。上京してからは日中8割超えで眼鏡をかけているからか、私=眼鏡有り派が増えてきており正直戸惑っている。

・城陽市は、京都からも五里、奈良からも五里。京都・大阪・奈良の中心にあり、これらの都市から遠すぎず近すぎずそれぞれ1時間以内の距離です。また、今後新名神高速道路の整備も進み、交通の要衝としての機能が大きく高まります。規模も大きすぎず小さすぎず、老若男女すべてに住民サービスがきめ細やかにゆきわたる、よいまちです。

・おくちー/奥野智萌 一心同体展

・エリンギは奥歯で噛んだ瞬間眉間と耳の交点あたりでマーガリンの風味の爆風が吹く

2021年10月1日金曜日

年上の泣き姿

5歳くらいまで、自分より年上の人が現実世界で泣いているところを見たことがなくて、自分より年上は泣かないものなのだと思い込んでいた。自分がその時点で指している年上の年齢になったにもかかわらず自分は泣いていることについては大して疑問に思っていなかったので諸々破綻していたけれど。年中になったある日、幼稚園内で結構気の強い年長さんのお姉さん二人組のうちの一人が廊下にうずくまって泣いているところを目撃した。その瞬間、自分より年上の人は泣かないのだという思い込みは崩れ落ちた。目の前で近場の絶対的強者であるお姉さんが泣いている。そんなことがあって良いものかと、本当にどうすれば良いのかわからないまま見て見ぬふりをした記憶がある。

小学生になって、お葬式にいく機会が何度かあった。そこでお母さんやお父さんが泣いているところを見て徐々に、人間は何歳になっても泣くものなのだということを受け入れていった気がする。でもまだその頃の私はそんな人々をできるだけ視界に入れないように目を背けていた。できる限り見ない方が良いものだと思っていたし、見たところで自分にできることもしたいことも何も無いしなと思っていた。