2019年2月19日火曜日

免許合宿

1ヶ月程前、免許合宿に行ってきた。車の運転を毎日練習する訳だがいつまでもマリオカートというゲームをやってる感覚が抜けずにいた。フロントガラスの向こう側は現実なはずなのに、ゲームの方が慣れ親しみすぎて奥行きのない画面のように捉えてしまい、現実であることに慣れるまで(多分人より)時間がかかった。そのことを路上練習の時教官に言ったら「残念ながらリアルなんだよね。人は轢いたら死ぬよ」と言われた。

昔よくテレビに出ていた島田紳助という人が、他人は全て自分の人生のためのエキストラであり彼らの人生はそのための役作りなのではないかと思ってしまうみたいなことを話していたのを思い出すことが多かった。確か、島田紳助が車を運転しているときにおじいさんが飛び出してきてハラハラしたことがあって、その時このおじいさんは俺にハラハラする体験をさせるためのエキストラとしてこの日のために何十年も役作りをしてきたんじゃないかと考えてしまった みたいな内容だったと思う。このゲーム的な考え方は「神様は乗り越えられない試練は与えない」とかいう言説にも通じるような救いがあるなと思って覚えていた。今この人が私をこんな(良い場合も悪い場合もある)気持ちにさせてくるのは私の人生のト書きに私がこういう思いをするという記述があり、その演出のためにこの人はこれまで役作りをし、ついにその時が来ているのかなどと勝手に感慨深くなることで精神への衝撃を緩和させたりするのに有効だったりするからだ。しかし、運転の際にこのエピソードを思い出した理由は、本当に歩行者や他の車がゲームにおけるエキストラのようにしか感じられなかったからだった。運転あんまり向いていないんだと思う。

田んぼや畑近くの道でシニアカーに乗った老人がマリオカートのイモムシのキャラ「はなちゃん」のようにぴょこぴょこ飛び出してきた時は、あまりにもゲームすぎて面白かった。老人が自分で飛び出してきたのに、ワンテンポ遅れて私の運転する車の存在に気づいて驚き慌てふためくのが何連続も起こった時には流石に仕込みかと思った。教官も、ここはシニアカー飛び出しゾーンだから徐行するように言っていて、もうそういうコースとして認識されてるんやんけと思った。