2019年12月30日月曜日

https://okujoh.space/dotyaku1/

都市の土着料理という映像に出ています。
この映像で作っている具なしナポリタンは、脂肪と糖にグルタミン酸とイノシン酸で味付けしたら絶対にうまいだろと思い作るに至った料理です。

2019年12月26日木曜日

点字器ではがきに点字で住所を打って郵便に出してもちゃんと読み取って届けてくれるらしい。知らなかった。

2019年12月21日土曜日

テレビをつけるとぬか漬けの魅力を紹介する番組をやっていて、ぬか漬けの虜になっているある女性がフィーチャーされていた。

彼女は自宅にある祖母から受け継いだ50年もののぬか床を見せてくれたり、キッチンでキュウリのぬか漬けとゆでたまごのぬか漬けで作るたまごサンドの作り方を披露してくれたり、何十種類もの食材(何百だったような気もする)を今までぬかに漬けてきた事実とその結果どれがおいしかったかの考察等様々な方向からぬかとの暮らしを見せてくれた。そのぬかとの暮らしぶりについては彼女の自宅で、その後の彼女へのインタビューは近くの川辺で撮影されていた。

彼女は川辺を散歩しながらインタビューに答えているのだが、なぜか手に壺のようなものを持っている。中身はぬかだった。

「天気が良い日はこうやって一緒に散歩をしたりします」

そんなことを言っていたがテレビだからなのか本当に普段からそんなことをやっているのか、わからなかった。壺はその大きさも相まって一見骨壺のようで、亡き故人と散歩をする人にしか見えなかった。壺は茶色で持ち手があるものだったのでよく考えれば骨壺ではないとわかるのかもしれないが、もし公園で彼女のような人に遭遇した時まさかぬかと散歩しているとは夢にも思わないだろう。骨壺の方がまだわかる。

最後に彼女が川辺の柵に寄りかかった状態でぬかへの愛を語っている時、手元の壺の蓋が開けられぬかがこちらに見えるようになっていた。ぬかがこっちを見ているようでなんとなく気味が悪かった。

2019年12月19日木曜日



山奥

日本じゃないことはわかっているけど日本語で会話ができる。勝手に翻訳されて伝わっているのかもしれない。

私は恋人とバディーを組んで、1人の王女を狙っている。その王女はアジア系でぼーっとしていて体も細く見るからに弱そう。だから選んだ。バイキング系の王女もいて彼女は見るからに強そう。みんなタックルしてたけれど飛ばされていた。

理由は明らかではないが、各国の王女が森に放たれて討たれることになったのだ。首を取ると褒美があると言うので下級市民はこぞって参加した。銃は使えない。接近戦のみ。王女はある程度の訓練は受けているが国の軍備の重視度による。籠の中の鳥の王女が多い。追い詰め方として剥ぎ取り、突き落としがメインとなる。剥ぎ取った服が首の代わりになる。

恋人が一緒に狙っていた王女の服を剥ぎ取り、びっくりしている間に私が後ろからその王女を崖から突き落とした。すぐそこは崖だということはなぜか知っていた。恋人は剥ぎ取った服を持って褒美をもらいに行った。私も付いていこうとすると王に話しかけられた。どこの王かはわからないけど王だということはわかる。

「うちの王女が討たれたのであなたに王位継承してもらいたい」

そう王は言ってきた。
今王位継承すると私が討たれる側になるので拒みたかったが、そう話しかけられた時点で私は王女になっていた。気付いたら侍女が隣にいて共に逃げることになっていた。
私は小さな織物工房に逃げ込むと2人のおばあさんの労働者がいた。
「土日に来てください」としきりに言われたが無視して奥にある糸を紡ぐ機械の上に隠れた。私は青いワンピースの下にジーパンを履いていたのでワンピースを脱いで一目では王女だとわからないような格好になることにした。侍女は機械の下でワンピースを受け取り畳んでくれた。

私はここがテーマパーク的な扱いを受けており地球の人間が観光に来ることを思い出し、駐車場を目指して走ることにした。侍女は置いていった。

車が一台だけ料金所から出ようとしていて、その車の窓が空いていたので窓枠に捕まって一緒に外に出ることに成功した。その車はフランスの5人家族のもので、私はフランス語はわからないので何を言われても無視をした。

見たことあるような街並みになり、車から離れて自力で歩くことにした。地球に帰ってきたとほっとしていたら、誰かに後ろから突き落とされた。

侍女は渡した私の服を首の代わりにして褒美を得たのだろうか。
そう思いながら、私はどこかへ落ちていった。

起床

2019年12月18日水曜日



いいなと思ってそれから点字に興味がある
アシモフの雑学コレクション 文学者 p.169  l.6

2019年12月17日火曜日

抽象的なことをふわふわとなぞるだけで何ひとつ具体的なことを言っていない状態のことを好ましく思っていないのだけど、逆に具体的なことを並べているがその具体は全てある抽象的なことを言い換えているに過ぎない状態に陥るのを避けたくてこのような態度を取るような人がいることがわかり、平行線だと思った。

2019年12月16日月曜日

高校生の時、学校単位で大阪梅田に行き劇団四季のCATSを観る機会があった。その公演は午後からだったので友達2人と私の3人はちょっと早めに梅田に行き、中崎町にあるカフェでご飯を食べてから集合場所に行くことにした。
梅田から中崎町へ向かう途中、足元のおぼつかないおばあさんが点字ブロックにつまづいて私の方へ倒れてきた。急なことだったので私はとっさにおばあさんを避けてしまい、おばあさんは地面に強く体を打ち、立てなくなってしまった。おばあさんはしきりに梅田駅に行きたいと言うので友達の1人がおぶって連れて行こうとしたが岩のように重くてびくともせず、途方に暮れた私たちは近くにあったホテルのお姉さんに知見を求めに行った。お姉さんはこのおばあさんはホテルのお客さんではないから原則ホテルで対応できないことを丁寧に教えてくれた上で、梅田駅に連れて行ったところで立って歩けないならば家族が迎えにきてくれるなどでない限り次はそこから動けなくなるだけで根本的な解決には至らないのではということで家族に連絡してもらうさもなくば救急車を呼ぶのが良いのではないかと提案してくれた。戻った私たちはそのことを伝えたがおばあさんは家族も救急車も拒んだ。倒れているお婆さんの周りで制服姿の3人の学生がおろおろしていたからか通りかかったお姉さんが心配して話しかけてくれた。状況を話すと半ば強引に119への通報とその後の対応を請け負ってくれた。私たちは救急車が無事に来ておばあさんが運び込まれるのを見届けてから再び中崎町へ向かった。

おばあさんが点字ブロックにつまづいた瞬間のことをよく思い出す。
これも段差なんだということ

2019年12月2日月曜日

信用:信じて用いること。
信頼:信じて頼ること。たよりにできるとして信ずること。

人間誰しも床があって壁があって屋根がある部屋の中に1日の大半いることが多いんじゃないか。床も壁も屋根も誰か人間が作ってくれたものでそれに発生する信頼も人間の間だけで完結しているものなので、なんの保証があってこんなものを信用しないといけないのかと思う。けれど私も人間で、人間中心に回る社会では文明とか何もかも信頼していることにして信用しないと生きていけないので今日も心を無にして常磐線に乗る。いやでも移動する床と壁と屋根(即ち電車)なんて部屋に比べても遥かに全然信用ならんだろ...

私が今住んでいる日本列島は地震も津波も土砂崩れも氾濫もあるから信用というよりは(祈りという意味で)信頼をしているような気がする。自分よりも(本当はダイナミックだとしても)ゆっくりとした時間の進み方をしていればしているものほど手放しに信頼できる。
(この信頼は完全に一方的なものであり、ゆっくりゆっくり裏切られている可能性の方が高いことも分かっている)→(その裏切りはどう考えても私たちの手に負えないものであるので、祈り・屈服することしかできないという分かりやすい諦めをさせてもらえる)→(逆に信用できる)
つまり地球しか信用できない。でも地球のこと信用するためには、一方的に信頼して、大きすぎて目には見えにくい裏切りのことはわからないふりをし続けないといけない。

2019年11月27日水曜日

https://cookpad.com/recipe/print/5924371


見れない人はこちらから(PDF)

2019年10月6日日曜日

2019年9月13日金曜日

新しいメガネを買った

今までJINSでしか買ったことなかったがzoffから可愛いのが出ていたのでセルフ誕プレとして買うことにした。アルバイトをちゃんとしているから手が届く世界だと去年一昨年と比べてしみじみ思う。

目が悪くなったわけではなく気分で付け替えられるようにという嗜好品として買おうという魂胆だったので、もともと持っているメガネと度数を変える必要が無いと伝えると店員のお姉さんは渡した私のメガネを顕微鏡みたいなやつのプレパラート置くとこみたいなとこに置いて対物レンズみたいなやつを近づけて何個かスイッチを押した。それでもともと持っているメガネの度数がわかるらしい。メガネを「目が悪くなったかなんかで見えにくくなったため新しく作る」という方式でしか買ったことがなかったので、メガネ作成には視力検査がつきものだと思っていたから秒速でレンズが出てきて戸惑ってしまった。なぜなら視力検査の時間を考慮して次の予定に間に合うように早く家を出てきたからで、そのため2時間ほど空白の時間ができてしまった。

暇すぎて大学に立ち寄ると食堂がやっていたのでミルクティーを買った

私はペットボトルのミルクティーだと青いパッケージで三角形のフォルムの午後の紅茶パンジェンシーがお気に入りなのだがこれがもう大量生産していないのか成城石井と大学の食堂のペットボトル飲料コーナーでしか手に入らない。なので大学に行くたびにせっかくなので買うようにしている。賞味期限は2020年9月だったので来年はまだいるだろうか。別れがいつ来るのか不安で不安でいつも賞味期限を確認している

Amazonで24本パックを4千円程で買えることは知っているけどまだ手を出したことはなくて、手遅れになる前に買っておくべきか迷う。賞味期限は9ヶ月なのでその辺りは大丈夫だと思う

2019年9月4日水曜日

ダイソーでハンドスピナーが売っていたので買ってみた

2年前くらいに流行っていたその時からちょっとやってみたかったのでちょうど良かった
かなりやりたいわけではなかったので縁が発生するのを受け身で待っていた形で、ついにその日が来たという感じです。

ハンドスピナーなので当たり前ですがめちゃめちゃまわる
ダイソーのものなのでもう少しバッタもんかと思っていたこともあり感動的だった

やることがあるのにスマホを触ってしまいそうな時などに一回まわしておくと結構気がまぎれる
これから時々お世話になりそう



2019年9月2日月曜日

餅の乱

私は今までロッテのチョコパイと森永のエンゼルパイという二項対立でしかチョココーティング丸いお菓子界を考えていなかった。しかし最近、ロッテは韓国では中身が餅の餅チョコパイなるものを販売しているという衝撃の事実を知った。私の脳内で繰り広げられていたクリームとマシュマロの戦いは餅の登場によってめちゃくちゃ混乱してしまった。食べたことある人によると見た目は日本のチョコパイに似ているらしく、食べて中身が餅だとわかるとちょっとサゲになるらしい(個人の意見です)(私は食べたことない)。そのことを聞いた時、絶対に食べる前に重さで中身が餅かクリームかわかるやろと思ったんですけどそこらへんは聞けなかった。というか聞かなかった。


2019年8月29日木曜日

テレビを見ていると当然のように「令和の〇〇」みたいなことをよく聞くようになって、聞くたびにそんな平成が終わったみたいなこと言わんといてくれやと思っていたけどちゃんと平成は終わっている

まだ2018年だと思っている節があるところと似た気持ちになる

2019年8月23日金曜日

少し前に「天気の子」という映画を観た。

その中での東京の天気は狂っているとされていて、狂っている/狂ってない について考えていた。

私は今まで狂っていると言われがちな人生だったような気がする。が、私自身は狂っていた自覚を持ったことは一度も無いわけです。狂っている/狂ってないは性格のように語られがちだけれど、これは第三者による相対評価、お前の当社比でしかないんだよ。「天然を自覚していない人が本当の天然だ」という説のように、狂っているかどうかは自覚することができないものであるはずで、第三者からの相対評価によって私は・彼は・あれは狂っていることにされる。
ただそれだけのこと

天気の子の中で東京の天気は都民によって(サンプルが地球の歴史に比べたら途方もなく短い期間だとしても)狂っていることとされ、狂っていない状態を切望される。

狂っているかどうかは相対評価の相対をどのマジョリティに設定するかで変わってしまう危うく脆いものであるはずなのに、「狂っている」というレッテルはその脆さを感じさせない強さ(それは揺るがない確信に基づく)を持っているからこうも厄介なんだ...

2019年7月29日月曜日



約1ヶ月前と、とても時間が経ってしまったけれど熊野と奈良と京都に行ってきた
今は関東にいるが私にとっては熊野も奈良も京都もかなり身近な場所なので見知らぬ土地に戸惑うということは全くなかった。

熊野から奈良へ行く途中に十津川を横断した
先生の名前忘れたけど前赴任してたと言ってた高校見ました
村の様子見る限り先生の話は盛ってるわけじゃなさそうだったしあれ全部ほんとにマジだったんだと思った。

熊野のこともっと理解するために日本神話について古事記と日本書紀読んだりして勉強してみたらとてもおもしろくて、おじいちゃんおばあちゃんが言ってる神様の概念というかスタンスみたいなものへの理解にまで至れたのでよかった。

2019年5月12日日曜日


ロイヤルホームセンター南千住店


角丸ハイステップコーナーを8個買おうとホームセンターに行ったら丁度8個店頭にあったので全部買った。

写真はディスプレイされていた9個目
確かにそことそこに穴は空いているが、そこに結束バンドを通してぶら下げる形でディスプレイしようというのはかなり画期的だなと思った。真似したい

2019年5月4日土曜日

中学卒業を目前とした頃、お母さんに「一生の友達は高校で出来る」といったことを言われた。これから新しくなる人間関係などへの希望としての発言だったんだろうけれど、じゃあ今までの、中学で築いた人間関係は後の人生で何の意味もなさないということかと軽い絶望を感じたが、実際今も遊んだり会ったりするのは高校で出会ったり高校で最終的に仲良くしていた人達が中心で、あの時の言葉は正しかったんだなと思う
そのことがずっと悲しい

2019年4月3日水曜日



2019年4月2日火曜日

令和

2019年3月29日金曜日

蕎麦って漢字で書いてあるのをよく見るけどそういえばうどんは平仮名表記しか見たことなかったことを知った。最近駅前のポスターに蕎麦と並んで「饂飩」と書かれているのを見た時、予想外に難しい漢字で一瞬何のことか分からなかった。蕎麦と並んでたから辛うじて理解に至れた。
薔薇と難易度というか画数は同じくらいな漢字だけど薔薇はあの花弁が重なり合っている造形と漢字の印象が割と近いので漢字表記も定着したのかな
饂飩は偏的に餅とかそういう白くてもちもちした感じを想像はできるけど、どう頑張っても何かいかついというかあの白くて長細くてふにゃっとした感じには似つかないし
うどん という平仮名の造形のがやはりうどんっぽさがあるなと思った。

2019年2月19日火曜日

1ヶ月程前、免許合宿に行ってきた。車の運転を毎日練習する訳だがいつまでもマリオカートというゲームをやってる感覚が抜けずにいた。フロントガラスの向こう側は現実がデフォなはずなのにゲームの方が慣れ親しみすぎて奥行きのない画面のように捉えてしまい現実であることに慣れるまで(多分人より)時間がかかった。そのことを路上練習の時教官に言ったら「残念ながらリアルなんだよね。人は轢いたら死ぬよ」と言われた。

昔よくテレビに出ていた島田紳助という人が他人は全て自分の人生のためのエキストラであり彼らの人生はそのための役作りなのではないかと思ってしまうみたいなことを話していたのを思い出すことが多かった。確か車を運転しているときにおじいさんが飛び出してきてハラハラしたことがあって、その時このおじいさんは俺にハラハラする体験をさせるためのエキストラとしてこの日のために何十年も役作りをしてきたんじゃないかと考えてしまった みたいな内容だったと思う。このゲーム的な考え方は「神様は乗り越えられない試練は与えない」とかいう言説にも通じるような救いがあるなと思って覚えていた。今この人が私をこんな(良い場合も悪い場合もある)気持ちにさせてくるのは私の人生のト書きに私がこういう思いをするという記述があり、その演出のためにこの人はこれまで役作りをし、ついにその時が来ているのかなどと勝手に感慨深くなることで精神への衝撃を緩和させたりするのに有効だったりするからです。しかし運転の際に思い出した理由は本当に歩行者や他の車がゲームにおけるエキストラのようにしか感じられなかったからだった。運転あんまり向いていないんだと思う。

2019年2月11日月曜日


年末からコツコツ進めていたLINEPOP2がついにレベル400達成した!

2019年1月29日火曜日


2019年1月28日月曜日


初めて静岡に来ています
滞在しているところの近くにある大きな水辺でずっと海だと思ってたのは浜名湖だった。

自転車を借りて散策したら新種の壁穴が何個か見つかった。他の地域よりも亀甲をブロック塀の一番上に横に並べているのをよく見かけた。これは亀甲の穴を埋められているもの