2021年12月5日日曜日

2020年の2月、私は病院でテレビカードというものに出会った。

テレビカードとはテレビを見るためのプリペイドカードだ。私がいた病院では同じテレビカードで冷蔵庫を稼働させることもできるとのことだった。入院期間は約2週間と聞いていたので、購入し使ってみることにした。




初めてテレビカードを使ってテレビを見た感想は「気が休まらない」だった。

テレビカードを使うためにタイマーという機械に入れるのだが、入れたら最後、テレビをつけるたびに公衆電話でテレホンカードを使う時のようにカウントが始まるのである。お金に余裕があれば別なのだろうが、その頃の私にとって1枚千円のテレビカードは高めの買い物だった。そのため、CMの間はもったいないからテレビを消して終わったであろう時間に再びつけたり等、様々にケチり方を試行錯誤していた。最終的にはCMがないNHKで気になる番組がないか番組表を素早くチェックして、気になる番組が3つくらい連続する時間を狙って見るようになっていた。しかし気になる番組とはいえ少しでも満足感に乏しい時はすぐ消してしまった。テレビカードはダラダラ時間を浪費することをお金の浪費として明示してきた。それは私のお金と時間を有意義に使いたい気持ちを刺激したものの、安静にするしかない身にとって心労が生まれたに過ぎなかった。


一方、カーテン越しの隣に入院していたおばさんは四六時中テレビをつけていた。当初はその財力に慄いたものの、テレビの本質はダラダラと見続けるところにあることに気がつくきっかけにもなった。

きっとあんまり先が長くなさそうなおばさんにとって、テレビは気晴らしになっていた。ダラダラとテレビを見続けることは多種多様な情報を否応無しに流し込むことであり、その間だけは問題を抱えた自分の肉体から目を逸らすことができたのだろうかと想像した。


2021年11月29日月曜日

畠山さんが言うようにこの世はせっかちな人とのんびりな人に二分されるとすれば、きっと私はせっかち側になる。なぜなら、人に言わせるとぼーっとすることがあまり身に付いていないからだ。たしかにそうだと思う。古美研で寺に行って庭を向いて座った時、時間が経つほど私は自分の眼底側に焦点が移動して庭を全く見ていなかった気がする。普段から、集中すればするほど自分の脳内に焦点があっていく感覚がある。その脳内ではずっと何かと対話しているし、何も考えないで空っぽになる時間をあんまり必要としていない気もしてきた。そういえば「外部に開かれる」みたいな言説に共感できた試しもない。



私は「見た」と認識したもの以外本当に見えていないらしい。例えば、泊まった旅館の部屋に飾られた絵の存在に就寝前になってやっと気づくというようなことが多々ある。逆に「見た」もののことは割と覚えている。私にとって見ることとは黒目を外部側に意識的に留めることであり、能動的なものなのだろう。しかしこれは私の性格だけでなくメガネにも原因があるのかもしれないと責任転嫁したい。私は普段から世界の、メガネによってフレーミングされている部分しか見えていないからだ。





競馬で用いられるブリンカーという器具がある。ブリンカーとは、馬の後方の視界を遮ることで周囲に惑わされず競争に集中させるための器具だ。私のメガネは課金しなかったおかげでフレーム側にいけばいくほど歪みが大きいので、しっかりと見えているのは本当に正面のみである。そのためブリンカーと同じ効果がメガネにもあるのではと考えたのだ。しかしこれは唯一しっかりと見える前方さえも見えていない理由にはならないのだった。



余談だが、お世話になっている弱視の方にかなり下手な絵を見せられ「どうしたら絵が上手くなるのかしら〜?」と聞かれ、「よく見ることですよ」と答えようとして口をつぐんだことを思い出した。

2021年10月16日土曜日

こないだの講評メモ(括弧内は私の感想)

・医療用コルセットのタワーはアンドロイド的。それ単体では存在し得ないはずの拡張身体が、立ち上がることでゴーストのように見える。無視することのできない奇妙な身体性がある。立ち上げる方法が手術の手法によるという点も面白い。(言語化だ…)

・フックの黒色が強すぎるから白がいいんじゃないか。ピンスポも素直にしっかり当てた方が良い。(正直両方あえてそうしないことにしてみたのでふーん…て感じ)

・お洒落なものが並んでいるだけに見えないように。ここからもっと根源的なものに向かっていくのか否か…。(それは本当にそう…)

・自分の身体を起点にコンセプトを組み立てているのはやっぱり強いよね。(ふむ)

・赤いライトに頼らなくても良い展示方法があったのではないか。赤い光には既視感がある。劇画調というか、演出ぽくしてしまっているのは現状オブジェだけではきっと赤いライトがないと物足りないということ。身体の拡張でしょ?爪みたいなもんでしょ?お別れするんでしょ?本当にこれでマックス出せてるか〜!?亀はもっと見せた方がいいし、何匹かいてもいいのかもしれない。歩いてコルセットに到達するとか…?音はもう少し大きくて良い。まずは声をしっかりと聴かせること。(パワー!いつも制作に謎の余裕があるので限界突破がんばります)

・今回は厳しかったが天吊りができる会場なら天吊りしたほうが良い。医療用コルセットのオブジェの歪みが意図的なのであればもっと曲げて意図的であることがわかるようにした方が良い。(仰る通りです…)

・生鮮食品売り場の肉に当てるオレンジの光のようなものを通り過ぎた先の赤ということですね。赤い光は舞台演出において様々な人が様々な意味を持たせて用いているが、そういう(血色が消えることで肉体がモノ化して見える)解釈は初めて聞いた。(生き生きがカンストした先の赤…!)

・卒制とこの作品の関わりはどういうところなのか(→身体への疑いの目と興味という共通点)。造形力があるので作家としてやっていく力があるし、自分の経験を外在化できる強さがある。アーチストが持っているのは自分が納得するために何か違うものに例える力。アーチストは9割9分何らかの当事者である。不思議なものを説明するために、宗教絵画とかね、形にしていく、それが今のアートにつながっている。それが奥野にはあるから。すごく良い作品だと思います。(心強すぎるが、私はこれから何かの仇を取りにいくのか…?)

・映像はモノローグが続くので見る側から関わることができる。医療用コルセットの塔はこちらに委ねてくるものがある。全く関係がないわけではないはずだが実は相反する性質を持っている。気にならない人は多いのだろうけど…お互いが殺し合っている可能性を考えた方が良い。もっと広い空間に離れて配置されていたら気にならなかったのかもしれない。どちらかだけで出す勇気。でも塔だけだとこれの人になっちゃうしね、映像がないとわからない作品だよね。(びっくりするくらいなるほどすぎる、己でその領域に達せるようになりたいね…)

2021年10月5日火曜日

今日は搬入初日で、足りないものを買い出しにホームセンターへ行った。私が欲しかったのは無反射の黒いテープ。しかしパッと見、両面テープとか置いてあるテープコーナーには置いて無かった。仕方ないからAmazonで買うか〜とスマホを見ていたら同行者が自分の目的物である粘着テープ付きフックを広い店内から見つけ出し確保しているところに遭遇した。どうやって見つけたのかと尋ねたら、何か大きな力を示唆してきたのち店員に聞いたと教えてくれた。なるほど、私はこれが欲しかったんですけど無かったんですよねとAmazonの商品ページを見せたところ、同行者はずんずんとどこかへ進み始めた。そして品出しをしている店員に「この人が何か探しているらしいんですけど」と私を指差しながら声をかけた。私は慌ててさっきのAmazonの商品ページを店員に見せた。店員はメーカー違いですけど…と言いながら歩き始め、テープコーナーとは別で更に奥に存在する養生テープコーナーへ私たちを案内した。そこには無反射テープの山があった。普段店員に聞くという選択肢が欠如しているので、この目的商品発見のスピード感にとても驚いた。
「困ったら店員に聞けば良い」という教えを身をもって乞うたが自分にできる自信はあまりない。

2021年10月3日日曜日

・他人の誕生日をカレンダーに書き込んでいくと祝日が増えたように見えて、視覚情報のダイレクトさが滑稽。

・文章も漫画もめちゃくちゃゆっくりながら少しずつうまくなっていっている気がする。漫画は昔のも全然読み返せるけど文章は自分の元気さに慄いてしまいちょっと厳しい。今メインで使っているTwitterアカウントの初期ツイートにある原作妹の「漫字」はその間の存在であり、正気で見返せるかどうかかなり判断が難しい。

・上を向いてお茶を飲んだらむせて、自分が噴水みたいになったようで面白かった。

・目が悪くなり始めたのは高校生くらいだったので、今も自分のことを眼鏡なしが本当の状態だと思っている。上京してからは日中8割超えで眼鏡をかけているからか、眼鏡有り派が増えてきており正直戸惑っている。

・城陽市は、京都からも五里、奈良からも五里。京都・大阪・奈良の中心にあり、これらの都市から遠すぎず近すぎずそれぞれ1時間以内の距離です。また、今後新名神高速道路の整備も進み、交通の要衝としての機能が大きく高まります。規模も大きすぎず小さすぎず、老若男女すべてに住民サービスがきめ細やかにゆきわたる、よいまちです。

・おくちー/奥野智萌 一心同体展

・エリンギは奥歯で噛んだ瞬間眉間と耳の交点あたりでマーガリンの風味の爆風が吹く

2021年10月1日金曜日

5歳くらいまで自分より年上の人が現実世界で泣いているところを見たことがなくて、自分より年上は泣かないものなのだと思い込んでいた。自分がその時点で指している年上の年齢になったにもかかわらず自分は泣いていることについては大して疑問に思っていなかったので諸々破綻していたけれど。年中になったある日、幼稚園内で結構気の強い年長さんのお姉さん二人組のうちの一人が廊下にうずくまって泣いているところを目撃した。その瞬間、自分より年上の人は泣かないのだという思い込みは崩れ落ちた。目の前で近場の絶対的強者であるお姉さんが泣いている。そんなことがあって良いものかと、本当にどうすれば良いのかわからないまま見て見ぬふりをした記憶がある。

小学生になって、お葬式にいく機会が何度かあった。そこでお母さんやお父さんが泣いているところを見て徐々に、人間は何歳になっても泣くものなのだということを受け入れていった気がする。でもまだその頃の私はそんな人々をできるだけ視界に入れないように目を背けていた。できる限り見ない方が良いものだと思っていたし、見たところで自分にできることもしたいことも何も無いしなと思っていた。

ところが近年、人が情けない顔をしているところを見るのが年々好きになってきている気がする。
別に上手に励ましたりは全くできないしする気もさらさら無いのだけど、他人の情けない顔をしみじみと見る時間は案外良いものだなと思う。度を超えた筋肉とか権力とか漠然と力(パワー)には微塵も惹かれなくて、情けなさに打ちひしがれている方が私の目には魅力的にうつっている。パワーは自分を無理やり吊り下げて力強く立っているように見せかけている感じがするから気味が悪いのかもしれない。無責任すぎるけれど、打ちひしがれてひれ伏したり這いつくばっている人にふわっと重力から解放されるような瞬間が偶に来ることを心の底から祈っている。重力とふわふわのバランスで程よく地に足がついている状態で居てほしい。ふわふわしまくるの憧れるしついふわふわしそうになるけど、私もそうありたい。

2021年9月20日月曜日

学部一年の時に買った本を久々に開いたら前髪くらいの長さの髪が挟まってて、その髪の黒さにびっくりした。私は数年前から髪を染めているので真っ黒な状態の自分の髪はしばらく見ていなかったからだ。こんな時代もあったなと思った。この髪の毛は本に挟まって幾度もの引越しに耐え抜いたことを思うと感慨深いものもあるが、されど抜けた髪の毛なので割とあっさり捨ててしまった。日記に書いてみれば髪の毛に対して手遅れの愛着とか少し惜しい気持ちが芽生えるかと思ったけれど、大してそんなこともなかった。でもこんなこと日記に書かなければすぐ忘れてしまうだろうから書き残しておく。

2021年9月18日土曜日

カメラを持っている状態の方がそこに居やすい人のことを想像している。

決してカメラを持っているからみんなにこっちを向いてポーズをして欲しいのではなくて、自らの身体を捨てて、防犯カメラ的に天からの視点を得ることへの安堵を求めたはる気がする。

2021年8月31日火曜日

 私は昨日夢を見ました。とても希望に溢れているようで絶望的なものでした。実は逆で、とても絶望的なようで希望に溢れたものだったような気もします。そして自分が思っているよりも、何も執着するほど大切じゃないことを思い出しました。なぜなら、高低差の激しい心につい惑わされてしまいますがこの世は、人生は、グラデーションに満ち満ちているからです。
 グラデーションの存在を認めたくない瞬間は誰にでもあると思います。しかし、だからと言って何かに対して「ダメ絶対」と行動を強制することは思考停止に他ならず、このグラデーションの存在を否定することにつながります。そしてグラデーションの否定は執着につながります。生への執着も例外ではありません。本来、死は点でなくて線であり、フェードアウトするものだからです。どんな生き物もだんだん死んでいく過程にあるように、この世の出来事の大半はグラデーションを内包しているのです。
 無理に劇的な効果を望むことはグラデーションを置いてけぼりにすることでもあります。その行動がいずれグラデーションの中に位置づけられる日がくるまで、そのことが吉と出たのか凶と出たのかはわかりません。急に行動を起こすことは、グラデーションという流れに流されている状態からジャンプするようなものなのです。それは抑圧からの解放を爆発的に起こすことなのかもしれません。行動を起こしたのち「偏見を無くそうと思ったのに新しく偏見を作っちゃった」と感じられることがあるのは、急にグラデーションからジャンプしたことにより周囲の認識が追いついていないからなのでしょう。自分が来年大きめの手術をするかもしれないから他の心配事には目を瞑らせて欲しいと願ったとしても、だからと言って流れゆくグラデーションを堰き止めることはできません。私たちに人生の要素を一つずつこなすことは到底不可能で、常に様々なグラデーションの流れに足を取られながら生きていくしかありません。私は私が思っているよりも揺蕩う心に過敏に反応しすぎることは諦めて、ゆっくりと朽ちていくこの肉体の声にしっかりと耳を傾けてあげなければならないのです。

2021年8月30日月曜日

一昨日と今日、ハロプロのライブに行ってきた。
ライブとは言いつつ、前後左右席が空いており拍手のみでリアクションを取るので映画館のような状態だった。逆に、だからこそ今なら初心者にも行きやすいんじゃないかと思った訳です。

一昨日が本当に人生で初めてのライブで、初めてだし…と思って双眼鏡やペンライトなどの用意はせず生身だけで行ってみた。結果、ペンライト無しならライブ配信を見るのとあまり変わらんという確信を得た。もちろんちゃんと楽しかったのだけど

なぜかというと、例えばライブではちらっとこっちを見てくれたときにすかさずペンライトを振ることで手を振りかえしてくれたりする(可能性がある)
実際に何かしらのレスがあるかどうかは置いておいて、その可能性がある空間であるということが大いなる価値を生んでいるのだということを理解した。

あと歌を聴いているだけではわからない、手を叩く振り付けやドラムの音に対応して客も手拍子をする場面がよくあってめちゃくちゃ焦ってしまった。曲中急に客の大半が一回手拍子をして、今なんのタイミングだったのか理解が追いつかないことが多々あった。

ゆっくり慣れていきたい

2021年7月29日木曜日

《3羽の死んだ鳥と墜落する辞書のある小さな部屋》について

 「マーク・マンダース − マークマンダースの不在」展より


ふわふわの柔らかいマットが床に敷かれた小部屋をくまなく歩く。
それは、この床の下のどこかにいる3羽の死んだ鳥を足裏の感触で見つけ出すためだ。
《3羽の死んだ鳥と墜落する辞書のある小さな部屋》というタイトルが付けられたこの小部屋は、部屋の中に立ったり、歩いたりすることによって鑑賞する。

「建物としての自画像」という構想に沿って作品制作を行うことで知られているマーク・マンダース。
東京都現代美術館で行われた展覧会では、1フロア全体(1000m2)を一つのインスタレーション作品として構築していた。私が気になった《3羽の死んだ鳥と墜落する辞書のある小さな部屋》は、そんなインスタレーションから外れた別フロアにポツンと展示されていた。

私たちは普段から靴越しに、アスファルト越しに、土越しに様々な死体の上を歩いているはずだ。
だがその死体の大半は土に還っている。そのため、私の足の下にあるのは死体ひとつひとつというよりは、「土」という生命が還るところだと認識している気がする。
しかし、このマンダースの作品には死体として剥製が用いられている。
剥製とは死亡した動物の表皮を剥がして防腐処理をし、骨や筋肉や内臓の代わりに損充材を詰めて縫い合わせたものだ。生物を生命のサイクルから外しモノ化させた、死体のぬいぐるみである。

つまり、3羽の鳥の剥製は「死体」というイメージを表象するものでしかないのだ。

キャプションに明記されていないだけで、このマットの下にはダニの死骸など他の死体もいるかもしれない。
にもかかわらず、マットの上を歩く私たちは「3羽の死んだ鳥」のみがこのマットの下のどこかにいることを想像する。
この小部屋は強いイメージを伴う言語によって、想像までもが操作される空間なのだ。

2021年7月27日火曜日

公園などにある銅像に服が着せられていたり、最近であればマスクを付けられている姿をしばしば目にする。それは「笠地蔵」という日本昔話の存在が大きいのではと思っている。道端にあるお地蔵さんは笠や頭巾をかぶらされていることが多く、その延長線で銅像にも同じようなスタンスで接している人が多いのだろう。

しかしそう言えば、服を着せられた銅像の中で一番テレビで見かけるのは韓国の慰安婦少女像のような気がした。銅像なので寒いわけないのだけれど、もこもこにされているイメージが強い。少女像のあるソウルの冬は北海道並みに寒いと聞いたことがあるので、やはり寒かろうと思った人に着せられているのだろう。銅像は人間と違って関節も動かないので羽織やマフラー、帽子やブランケットなど防寒具ならば簡単に上から被せることができることと、冬に晒された銅像に対する「寒かろう」という気持ちの相性が良いために銅像へ防寒具が着せられるのだろうかと想像した。

インターネットで調べていくと、少女像は元々裸足でべったり足裏が地面についた状態で制作されているはずなのに、靴下を履かされた状態の写真があった。靴下の足裏部分を切り取って、足首部分も切り込みを入れて靴下を履いているように見せているらしい。防寒具を身につけていても裸足だと寒そうに感じてしまう気持ちはわかるのだが、靴下を実際は履けていないにもかかわらず履けているように見せることでその気持ちが満たされるのは不思議なことだなと思った。


他の事例を探す中で、銅像の着替えを一年間見守って気づいたことという記事も見つけた。


服など布ものの方が先に朽ちるにもかかわらず銅像に服飾を施すというのは、銅像という(何事もなければ)後世に残っていくものを私たち人間の生きる時間軸に引き込む行為なのではと考えた。汚れたり季節が変われば取り換えたくなる素材を介して銅像と関わることによって、人間は目の前にある銅像とコミュニケーションのようなものを行っているように感じられる。それは後世に残らないからこそ安易にできる関わり方であり、このような目まぐるしく軽薄なコミュニケーションの台風の目的な存在としても銅像はあるのだろうかと思った。

2021年7月14日水曜日

日本展開している台湾のチェーン店に行った。
牛肉麺食べて、タピオカミルクティー飲んで、塩気のあるものが再び欲しくなって平たい鳥の唐揚げを食べた。私以外の人はタピオカをきれいに飲み切っていたのに、私はタピオカを吸っている途中でミルクティー切れになってストローの途中に留まったままになってしまった。

糖分を摂ったほうが回復する疲れと、タンパク質を摂ったほうが回復する疲れがある気がしていて、この時はタピオカで回復できるかと思いきや足りないのは肉だったなと食べ切ってから体で理解する感じがあった。

2021年7月9日金曜日

私は20歳の時に次女と一緒に静岡県の合宿免許へ行って自動車免許を取っている
しかし自家用車のある実家に住む次女と違い、私は上京先で運転する機会の極端に少ない暮らしをしていたのであっという間にペーパードライバーに成り果てていた。
そもそも次女の方が運転がうまめなことが合宿免許中に発覚したので素質と機会に恵まれて上達していっているのだろうけど、今回合宿免許には同行しなかった三女を含めた三姉妹でマリオカートをした時には大体1位が三女で、11位と12位(最下位)を次女と私で争うことが多かった思い出があったから、実世界で運転がうまいことは正直想定外だった。

しかし興味深い事実が発覚した。
私と三女は次女が運転する車に乗る夢を、次女は自分が車を運転する夢を見ることがあったのだ。次女は運転ができるという設定を三姉妹の夢の中で共有していたということだ。
(私のは厳密にいうと自分で運転しようとしたらうまくできなかったので次女に交代して運転してもらう夢だった。“次女は運転ができる”という設定が際立つ内容となっていた)


話を合宿免許に戻すと、
仮免を取るための試験というのは合格できそうなレベルに達してからしか挑戦させてもらえなくて、その判断を「みきわめ」と言うらしい。私はそのみきわめをもらうまでに少し時間がかかって、その間に次女は順調に公道での教習を進めていた。しかし運悪く次女は卒検に落ちてしまったため同じタイミングで卒検を受けられることになった。卒検では奇跡的に同じ車に乗るペアになり(多分名簿順だからペアになる確率はかなり高かった)、お互いの運転する車に初めて乗る機会となった。
次女の運転は絵に描いたような安全運転だった。
スキーでもボーゲンでびっくりするくらいゆっくり下っていく人なので人柄が出るなと思った。

卒検は無事二人とも合格したので安堵したのだけど、私はバックで駐車場に車を停める“いわゆる駐車”を合宿中に一回しかやる機会を与えてもらえなかったことに気がついた。しかもその一回もほぼ助手席にいる教官の言いなりで行ったチュートリアルみたいな駐車だった。車は走り出したらいずれどこかに駐車しないといけないのになんてこったと思った。

今は割と自由に運転できる軽自動車があるのだけれど、この駐車問題によってその自由は制限されている。発進してだだっ広いところに駐車することはできるのだけれど、帰ることができないのだ。なぜかというと自宅前の駐車場が狭いだけでなく、一番接触事故を起こしそうな斜め前の位置に停まっているのが見るからに大切にされている高級車だからであった。土日には欠かさず優しく磨かれているし、駐車中は雪国のようにワイパーは必ず上げた状態にされている。
なので助手席に誰か乗ってもらわないと恐ろしくて駐車できなくて、一人で車でどこかにいくことが憚られていたのだ。いや行くことはそこまで憚られることではないのだけど、行ったら帰れないので…。

そんな中最近自宅から大学まで車で通学する訓練を始めた。それは15分くらいの道のりで、大学は駐車場が広いのと車がそんなに多くない時間帯がわかっているので結構お手の物になってきた。帰りは同じタイミングで帰る人に助手席に乗ってもらうことで難を凌いでいた。

しかし今日ついにどうしても一人で駐車しないといけない瞬間が訪れた。

少し前に書いた「どうにか克服したい対象に対峙する素直な状態の身体をコピペして圧縮して消滅させる戦法」を応用して、自分なんだけれどもう一つレイヤーが上の自分みたいな状態で挑んだら切り返しも一回でうまく駐車できた。
「一回できた!」という成功体験は強烈なもので、自分の活動範囲が一気にグンと広がるような感じがした。(この全能感はその後一回でも擦ったり凹ませたりしたらあっという間に崩れそうになる脆いものということははなからわかっている。しかし「できる気がする」と1ミリでも思えるかどうかの差はとてつもなく大きいのだ)

車ライフ始まりの予感です

2021年7月7日水曜日

昨日秋葉原のマンホールの上でネズミが轢かれてペラペラになってて、
ネズミ版まるごとえびせんべいみたいだなと思った。

いや、これがリアル「トムとジェリー」かと後で思った。

2021年7月5日月曜日

私の通っていた小学校は二年に一回の計三回しかクラス替えをせず、毎年担任だけ変わる(こともある)学校だった。
一年生から同じメンバーなので二年生になるとかなり仲良くなっていて、その分遊びや話題もハイコンテクストになっていったので今思い返すと何が面白かったのか全然わからないことが多々ある。

今も現役の「おくちー」というあだ名はそんな小学二年生の時に生まれたものだ。

私の記憶では二年生の時にクラスの男子を中心におじいちゃんおばあちゃんの言動や所作を真似することが流行っていた。
そしてその流行の発起人であるメンバーたちの集い「老人会」が中間休みや昼休みに行われていた。そのメンバーはお互いを「〇〇じい」「〇〇ばあ」と呼び合っていて、それがグループ外のクラスメイトにもあだ名として定着していた。(〇〇には基本苗字の一文字目と二文字目が入る。田中なら「たなじい」、栗岡なら「くりばあ」という具合。)

その老人会のメンバーになりたくて老人の所作を自分なりに真似して「〇〇じい/ばあ」と呼んでもらおうとする人もいたし、逆に老人会のメンバーが非メンバーを急に「〇〇じい/ばあ」式で呼ぶこともあった。

ある日の給食の時間、メンバーの一人が私のことを「おくばあ」と呼んできた。
そして私を「〇〇ばあ」呼びすると「奥歯」と似ているということでツボられるという事案があった。

同時期に女子の間で「〇〇こ」呼びが流行っていた。(これは六年生まで続く)
浅井なら「あさこ」、寺山なら「てらこ」という感じ。私は「ちーこ」と呼ばれていた。

この二大勢力を足して割ってできたのが「おくちー」という見解である。

どちらの勢力にもそこまで傾いていない女子にある日呼ばれたのだ。
どういう経緯かは鮮明に思い出せないけれどそれはプールの授業が始まった頃で、その子がタオルを巻いた様子がてるてる坊主を想起させるので「てるちゃん」と一方的に呼び始めたら向こうが「おくちー」というあだ名を発明してきたのだったと思う。
その子とは三年と四年は違うクラスになったが「おくちー」はどんどん浸透していった。
そして五年生でまた同じクラスになった時に、自分が考えたあだ名が浸透したことについて誇らしげかつ手柄を示すような雰囲気で主張された。
その時に「このあだ名はこの子が考えたのだったな」と改めて記憶に刻んでおいた。
(「このことは覚えておこう」と思った事柄で今も覚えていることがいくつかある。そのうちのひとつで5歳頃に見たアニメ「ぴちぴちピッチ」の主人公の名前「るちあ」を自分の子供にもつけるべく覚えておいた。多分今となっては名付けないだろうけど、過去の私が忘れないように心の中で暗唱したから忘れたくても忘れられない。)

高校生になってからその子に「あなたが “おくちー” の考案者だ」という話をしたらすっかり忘れられていて、証人がいなくなってしまった。

私は過去の彼女の主張によって記憶を補強したから今でもこんなに覚えているのに。

2021年7月2日金曜日

小学一年生の時、音楽の授業は担任の先生ではなくおばあちゃんの先生が担当だった。その音楽の先生については自分の車のナンバーが「7216(何色)」だということを自慢気に話していたことだけ覚えている。

小学五年生と六年生の時の担任の先生の車のナンバーは「1359」だった。奇数の並び順だけど7が飛ばされているなと思った記憶がある。

「2474(西の梨)」「2714(2×7=14)」とかも羅列としては覚えているけど昔の実家の車のナンバーだったか、祖父母や友達の家の車のナンバーだったかは記憶が曖昧だということが分かった。
こういうことはある日ふと思い出すような事柄なので、そのきっかけを逃さないように非常にうっすらと考え続けようと思う。

2021年6月15日火曜日

私は幼少期より親や祖父から「智萌(ちゃん)は骨太だ」と言われてきた

それが原因だと思われる不都合は今まで特になかったので、骨太の定義を確認することもなく自分は骨太なんだなあと鵜呑みにして生きている

そんな中、先月くらいから週に二回整骨院に通うようになって
自分のからだについて教えてもらえるようになった
側湾による腰痛とあばらの痛みの改善がメインなんですが、他の部位の状態についてやトレーニングなど、聞けばいろいろなことを教えてくれる

先日、私は足首について尋ねた

私の脚はふくらみとくびれがかなり少ない円柱に近い状態で
それは親や祖父からすれば「骨太だから」とのことだが
本当か?というのと、

足首がもう少し細くなれば見た目のバランスがよくなりそうなんだが別にむくんでいるわけではないので
YouTubeにたくさんあがっているような足首マッサージが効かないなと思っていたからだった

整骨院の先生は私の足首を一周ぐるっと指で軽く押しながら触った後
「普通、膝下から足にかけて伸びている二本の骨を足首あたりにあるバンドのような筋肉で束ねているんだけど、なんかのタイミングでやっちゃってそのバンドが切れてるね」
と言った

私はスーパーで売られている小松菜の、小松菜を束ねるテープを切った瞬間を思い浮かべた

「そのバンドは再生しないんですか」
「時すでに遅しだね。足捻ったらすぐにサポーターとかで固定するのが大事なんだよ…」

小学校低学年の頃に無理してヒールを履いて足を捻ることはよくあったので
どれが直接的な原因だったかは今更確認しようがないけれど
一度も腫れるような大事にはならなかったので
徐々にダメージを受けて、知らず知らずのうちに切れたということだろう

つまりどうしようもないということだ

それがわかっただけで良かったと思う



「“気になる”ことで無駄なエネルギーを消費するくらいなら、うなじにあるそのイボとホクロの間のものは手術で取ってもいいんじゃない」
とこの前の帰省時父に言われたことを思い出した

つい気になって触ってしまうんだということを話した時の返答で
これはそれくらい思い切って良いことなのかと思って印象的だった

“気になる”ということは良くも悪くも意識のリソースを割くことなのだ

とはいえ、つい後回しにしてしまいがちなのも事実だ

「取り除いたほうが良い“気になること”をひとつひとつ取り除くことは時間も労力も厭わなくて良いレベルの事態である」
と石にでも刻むか

2021年6月14日月曜日

昨日寝る前に行方を見失ったまつげが目の隅のほうにあるのを見つけた

試行錯誤してやっと取れたまつげを確認したところ
二本のまつげがまとまって太い一本に見えていたことがわかった
私はメガネを外さないと鏡を使って目をじっくり見ることができないので
あまりそのときの自分の認識を当てにしない方が良いということもわかった

それよりも目に入ったまつげ史上一番粘性のある液体に包まれていたことの方が印象的だった

透明なジェルみたいな感じ
そのおかげか目の中から取り出そうと試行錯誤して
まつげが下瞼の裏に刺さりかけたり黒目の上を泳いでも特に痛みは感じなかった
昨夜みた生き物についての番組でカエルの出産を特集していて、そのことを思い出した

目ってものすごく取り外し可能そうな見た目をしているけれど
視神経や筋肉が後ろ半分についているからそういうことはできないんだよな

目が取り外せそうと今でも思うのは、幼少期に母から学生時代に牛の目玉の解剖をしたエピソードを繰り返し聞かされていたからかもしれない

取り出された目玉のイメージが刷り込まれている気がする

母は毎回そのとき見た水晶体の美しさを力説してくれるので
私も学校で解剖の授業をやる日を楽しみに思っていたが
私が解剖する機会に恵まれたのは蚕と犬の餌にもなる鶏の頭の煮付けだけだった


解剖というのはえずきそうになる身体を体内にコピペして胃のサイズまで圧縮して自然消滅させるとなんの躊躇もなく挑めますね
この、どうにか克服したい対象に対峙する素直な状態の身体をコピペして圧縮して消滅させる戦法は自分の人生の中で結構役立っている気がする

この戦法をマニュアル化したのは中学の美術の宿題がきっかけだったと思う

美術の宿題でモナリザについて調べないといけない日があって
私はモナリザがかなり怖いのでモナリザの目にマスキングテープを貼って目が合わないようにしてその日はどうにかやり過ごしたが
それから少し経ったある日、アステカ文明のトルコ石で装飾された仮面について調べる宿題が出てあまりの怖さにお手上げの状態になった
(テスカポリトカとケツァルコアトルの仮面だったと思うので気になる人は調べてみてください)

この時初めて恐怖する自分の自然消滅を意識的に行った記憶がある

言葉で説明するのが難しいのだけど
自然消滅を早送りするようなイメージなので結構疲れるし気合がないと厳しい
現に今気合が足りないのでアステカ文明の仮面の詳細の確認を怠ったまま日記に書いている
気合がある時に確認して間違いがあれば後日修正することにします


2021年6月13日日曜日

 何度まばたきをしても目の中に入った一本のまつ毛が茶柱みたいに縦に居続けて釈然としない

立っているとまつ毛も縦になるので下瞼裏に刺さりそうだなとか不安に思うけれど、寝てしまえばまつ毛も地面と平行になるので心配が半減する気がした

最後の希望として目薬をさしてみたらまつ毛を完全に見失った

どさくさに紛れて外に出ていてくれたら嬉しいけれど
裏にまわったんじゃないかというあらぬ心配を抱く結果になった



今日ははじめてデパートでマニキュアを買った
クリアな青い色で、少し赤いラメが入っているものにした
袋代は商品代に含まれているらしく、小さなブランドロゴの入った紙袋に入れてくれた
その紙袋の持ち手が細くよじった和紙をリリアン編みしたような不思議な触感だったので、持ち手だけ切り取ってぬいぐるみのパーツ用に取っておいた。

マニキュアは3度塗りした
シーグラスが爪についているみたいで目に入るたびにちょっとおもしろい

2021年6月1日火曜日

 過去のメモログ







スマホのメモ帳を整理して、念のため画像としても残した方が良いと思ったメモ6選
メモ帳の文体には自分だけがのちにわかれば良いという安心感由来の生々しさがあって良いなと思った。高校の時はメモ帳もTwitterのいいね・ブックマークやらも月に一度くらいはノートに整理して思考の推移を俯瞰できるようにしていたけれどめっきりやらなくなってしまった。やれば流れ続ける情報に対して地に足がつく感じが得られるのはわかり切っているので少しずつ進めていきたい。



2021年5月28日金曜日


少し前に新発売した綾鷹カフェはすぐにコンビニでは手に入らないレアものになった。ペットボトルの抹茶ラテというのが割と新しい(気がする)上に味もまあまあ良いからだろう。そんな中、自動販売機では時々売っていることが判明した。JR東日本の駅ナカにあるacuaと書いてある自販機には150円で割と売られていることも確認した。

ある日、時々通る工事現場の前にある自販機にも綾鷹カフェが売っていることに気がついた。しかも他の自販機より30円安い120円で!
通りかかるたびに買うように心に決めたのだった。

ところが最近、マールブランシュ初夏限定の「お濃茶シェイク」を通販で買ってしまったばかりに綾鷹カフェに目もくれない生活を送っていた。クオリティが段違いなのだ...。(お濃茶シェイクは濃い抹茶チョコレートがミルクに溶けているような味わいなのに対し、綾鷹カフェは寿司屋の粉末緑茶と砂糖を牛乳に溶かしたような味。それもそれで良さがある。)

久々に工事現場の前を通る用事があったので自販機を覗いてみると綾鷹カフェだけ売り切れていた。私がお濃茶シェイクに舌鼓を打っている間も、ここの綾鷹カフェだけ妙に安いことに気がつき頻繁に買っていた人がいたということなんだろうなと思いを馳せながら写真を撮って帰った。



2021年5月19日水曜日

 













漫画『人魚のつくり方』を製本してみました。
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2021年4月25日日曜日

この世には様々な困難が存在している。
困難の原因は身長体重視力居住地性別国籍、身体や精神の障害によるものなど多岐にわたるわけだけど、私が今直面している困難というのは「脊椎動物」が由縁なので背骨を持たない奴ら、例えば蟹とかに愚痴るしかない。逆に魚にまでちゃんと仲間意識を持てるようになったのは良かったかもしれない。あとぬいぐるみはほぼ蟹。

2021年4月9日金曜日

最近思ったこと

ツナマヨおにぎりとミルクティーが並んでいるとそれだけでかなり"自分"なんじゃないかと思った。特にセブンイレブンのツナマヨおにぎりと午後の紅茶のミルクティー。

腹を温めることはすべからく善いことなので、石にも腹巻きを編んだ方が良いと思った。

白湯が好きそうな顔している人が白湯苦手だと拍子抜けする。熱いとごくごく飲めないので水よりも必然的に味わうような飲み方になるものの割と無だから耐え難いのかしらと思った。

買った花をドライフラワーにして売ることは毛糸を買ってセーターを編むような扱いなのか古本のような扱いなのかどっちなのかなと思った。前者なら古物商申請出さなくても売れるから気になっただけ。軽くググったけどよくわからなかったから何もかもグレーなのかもしれない。

2021年3月16日火曜日

腰が痛む日は右下から三本目の肋骨を医療用コルセットの上部にひっかけることが欠かせない。手でしっかり上からひっかけないと右肩が浮遊して、外からの圧が全部そこから煙突から出る煙みたいにふわふわ逃げていくような感じがする。ひっかけた肋骨はその蓋になっている。

蓋といえば、壺の底を取って蓋にする本末転倒な手遊びのことを思い出した。壺の中に入っているのが本当に茶なのであれば、それが茶葉であれ液体の茶であれ壺の底は最重要部品であり、真上からの埃を避けたいだけならやや上の側面に当たる部分から蓋を切り出すのが真っ当なのではと思った。しかしそんなことしなくても蓋というものは紙とか、板とか、皿とか、一時的であれば手のひらなど代用可能なものであるはずだ。

何かに蓋をする時、私たちは想像以上にたくさんの選択肢を与えられている。しかし目玉焼きをフライパンで焼いている時、茶壺のようにフライパンの底を蓋にしようとは誰も思わない。
蓋はふさがれるものたちの外部にあるはずなのだ。

2021年3月15日月曜日

 妹の犬歯が丸いのを笑ったと同時に、自分は八重歯だから犬歯がすり減ることが無いのだということに気がついた。犬歯とは常に鋭利なものだと認識していたけれど、それは咀嚼に使用しない場合のことだったのだ。

2021年2月27日土曜日

 日付が変わったにもかかわらずお腹が空いてきたので、芽キャベツのヘタをとって十字に切り込みを入れ下茹でし、新じゃがいもと新玉ねぎと厚切りベーコンと一緒にポトフを作った。
マヨネーズとおろしにんにく、レモン汁、粒マスタードを混ぜて付け合わせのソースも作った。

芽キャベツというものを多分生まれて初めて食べた。下茹でもしていたのでスプーンで切れるほどやわらかくなっていた。普段食べているキャベツとは風味は似ているけれど、普段は芽キャベツのように葉が密集した状態で口に入れることはないので、口に入れられる葉の密度が違うだけでこんなにも違うものに感じられるのかと思った。

レシピをネットで調べると同じ料理でもたくさんのパターンがあることがわかる。そういう時は5種類くらいのパターンを見るとその料理の大切な要素がどこにあるのかが掴みやすくなるので、そうなればどのレシピを見てもそこそこ腑に落ちた状態で調理に取り掛かる事ができる。今回は具材の大きさとソースの構成を腑に落としてから挑みました。

2021年2月17日水曜日

 昨日は久々に雨が降っていたので利根川の水位が上がっていた。それに伴い風も強かった。

夕方のどがかゆくて、多分花粉のせいで、2月ってこんなにも春だっけと思った。のどがかゆいときは舌の付け根で擦ると気持ちいいけれど、痒さは癒えず本当にただ気持ちいいだけなので無闇矢鱈にやらないほうが良いです。
なんとなく花粉症に良さそうだから夜ご飯のデザートにヨーグルトを食べた。結構前にスーパーで買ったグレープフルーツより甘みが強い柑橘類とはちみつを混ぜて食べた。結果、ヨーグルトはのどのかゆさには効くことがわかった。ひんやりしているし、飲み込む際のど全体に満遍なく触れるテクスチャーだからだと思う。

2021年2月16日火曜日

妄想の介入しない、文字情報だけで構成された世界を垣間見るためには鍛錬が必要。圧縮に慣れた体には難しいこと。

2ヶ月ぶりに通訳の仕事をしたら、通訳モードではない体の状態で挑んだせいで左右のバランスが崩れたらしく左の背筋が痛くなった。

相変わらず足の小指は左右共に三角形だけれど頂点が点から線になってポキッと取れるようなことは最近めっきりなくなった。

2021年2月5日金曜日

体育座りにして縛る
みたいなことがしたい

2021年1月23日土曜日

 取手駅高架下の市民ギャラリーに小さな子供がかいた絵がたくさん飾られていた。
テーマは「平和」ということで心温まるイメージの絵が多い中、下の方に一点全体的に暗い色の絵があった。真ん中に大きな山があり、山の中腹から山頂部分が輝いているような絵だった。キャプションには「ときどきあらわれたり、きえたりする山」というようなことが書かれていた。
そういう山が存在していることがこの子にとっての平和なのだなと思った。