2022年12月14日水曜日

損失?

自宅の床にホットカーペットを敷いてからしばらく経った。
私は術後、医者からの勧めで実家や旧居で長らく続けてきた地べたでの生活から椅子生活に切り替えた。腰への負担の関係で、正座以外の座りかたにドクターストップがかけられているからだ。椅子生活なのでホットカーペットには足裏しか接しないけれど、足元の寒さが軽減されている感じはしている。これじゃ暖かさを享受し切れていないのではと少し不安にもなるが、今まではホットカーペットと布団の間に挟まってはよくそのまま寝てしまっていたので、それがなくなったのは良いことだと思う。
しかし、ついに昨日ホットカーペットの上で寝てしまった。
アルバイト帰りでかなり疲れていて、帰宅即エアコンを入れたものの部屋の空気はすぐ暖まらなくて、すぐに暖をとれるホットカーペットに吸い込まれてしまったのだった。背骨の手術をしてから硬いところで寝たことがなかったので久々に背中がバキバキになった。そのバキバキ感の中に入り混じる今までと違う違和感に背骨に刺さった数々の金属の存在をはっきりと感じてちょっと怖い思いをした。それはまるで、大量の蝶番を縦に長く繋げたものの端っこを持って、波を描くようにミシミシ動かしている時に蝶番の総体が感じていそうな痛みだった。

朝風呂を終えて、諸々の用事も終えて、夕方はアイドルのバースデーイベントコンサートを観に行った。薄々気づいていることとして、私は1対大勢(客)という状況で舞台上の出来事にのめり込むことが苦手な方なんだと思う。この曲はあの曲だな〜そういえばあの子もこれを歌ってて、それをYoutubeで見てた頃自分はあんな状況で…てか目の前の人ペンライト動かす手首のスナップ凄、そういえば京都で「TANZ」を観に行った時は座りっぱなしなのもっときつかったのにもうかなり良くなったなぁ…あ、なんかコンサート前にチャイ飲んで思ったけどチャイはシナモンよりも生姜が効いてる方が好みかもな……と気づいたら全く違うことを考えていて、「元取るためにもちゃんと見なくちゃ」と毎度焦るのである。それは舞台上を見ていたはずなのに気づいたら後頭部から眼球が逃げ出しているので慌てて追いかけて眼窩に押し込めるみたいな感じで、ドールの頭部に内側から眼球を嵌め込んでは外れて転がっていくのにも似ている。
最近、半分ドキュメンタリー・半分空想の縦読み漫画をいくつか描いて、最終的にそれらを一本にまとめたコミックムービー形式の映像作品を作ったのだけど、家で一人で何度も見返している時は集中できたのに会場に展示したものを見ようとすると途端に眼球が逃げ出す感じがあった。粗探しをするように集中して見る必要がなくなったというのもあるだろうが、こんな感じで「気づいたら見ていない」ことがよくある。見逃したことで損した気持ちになることって多いけれど、それって 見た/見なかった の分断があまりにも大きいことを知っているからなのだろうか?



2022年12月12日月曜日

作り変えられた身体から目覚めた私たちは目を回した。
ヒラメとカレイが融合され、上下左右を見失った人魚(Artificial Fish)も青緑色の空間の中で目を回し続ける。
「いつ以前のように泳げるようになるのか……」
しかし身体を作り変えられた以上、以前はもう戻れない過去である。

2022年12月4日日曜日


背骨を真っ直ぐにする手術を終えてから数ヶ月が経った。
家族や恋人が、傷が化膿していないか時々確認しては「大丈夫」と教えてくれている。その言葉を疑うわけではないけれど、自分の背中がどうなっているのか見たくても見えないことのもどかしさが日々つのっていた。

背骨を固定したことでできなくなった姿勢もありながらなんとか撮ってみた写真には、まだ肌に馴染みきっていない手術創の様子が鮮明に写っていた。自分の背中をまじまじと見つめられるのもカメラのおかげだ。

2022年11月23日水曜日

 

「普段はこの暗室でイメージと戯れています」とある写真家が言っているのを聞いて、理屈はわかるけど実感としてはあまりわからないことだなと思っていた。
けれど、今日アミ点加工をした写真の粒を放流するプロトタイプを作ったら粒がふよふよ漂う様子をずっと見ていられる自分がいて、こういうことなのだろうかと自分なりに腑に落ちた。

寝る前に「粒を放流する」と書いたけど、今朝起き抜けに紅茶を淹れたらティーバッグの中を茶葉が踊っていて、こっちのが近いなと思った。
世界中にばら撒いているというよりは、粒がその場をそっと離れる(逆にイメージに向かっている最中かもしれない)ところを目撃する。

2022年11月22日火曜日

素焼きのコルセットはやめておいた方がいいという内容の夢を見た。

素焼きは水分を吸収するので患部に滲み出した血清を吸い取って固まる。
すると、外す際にコルセット≒瘡蓋ごとベリっといってしまい治りが悪くなるからとの理由だった。
その話を聞き、自分の肋骨より下が「酢につけて殻が溶け薄皮だけになったぽよぽよの生卵」みたいな質感になるシミュレーションイメージを生々しく想像し、起きた後も何度か思い出してはゾッとした。

2022年11月21日月曜日

リハビリテーションを受けて、介助における「一、そばにいろ 二、目を離すな 三、手を出すな」(上田敏、『リハビリテーション医学の世界』、p.350)を被介助者側で体験できたことは貴重なことだったと思う。なぜなら私自身が目と耳両方に障害を持つ盲ろう者の支援者として働く中で、これらのことを肌感で実践してきたためだ。(盲ろう者の介助の基本は「待つ」ことだ。良かれと思ってと言い訳しながら強引に手を出すことは、ただ目の前のまどろっこしさに耐えられない弱さであり、全く本人のためにはならない。)

退院し療養中の今、自分を自分自身で介助するようなまなざしを持って生活している実感がある。観察者も対象も自分自身ではあるが案外取りこぼしは多く、気づけなかったことがあるという事実に向き合う必要もある。

2022年11月17日木曜日

 メモ_φ(・_・

  • 『リハビリテーション医学の世界』(上田敏 著、三輪書店)
    • 日常生活動作(activities of daily living:ADL)
      p.148
    • 人生の質(quality of life:QOL)
    • リハビリテーション医学の三特徴
      p.125
      • 一、目的において「復権の医学」であること。
      • 二、対象において「障害と能力の医学」であること。
      • 三、方法において「教育的・代償的な色彩の強い医学」であること。
    • 障害の構造とその重層性
      p.134
      • 障害
        • 客観的障害
          • 機能・形態障害(impairment)
            • 生物(学)レベル(麻痺、関節運動制限などのように生物としてのレベル)で捉えた障害
          • 能力障害(disability)
            • 個人レベル(精神と身体を備えた一人の個人としてのレベル)で捉えた障害で、歩行をはじめとする日常生活動作の障害、その他各種の能力の障害
          • 社会的不利(handicap)
            • 社会レベル(社会的存在としての人間のレベル)で捉えた障害で、失職、経済的困難、家庭の崩壊、その他「人間らしい生活」の困難全てを含む
        • 主観的障害
          • 体験としての障害ー実存のレベル(主観的な体験として、自尊心・価値観・人生の目的などに関するレベル)で捉えた障害
    • 主観的障害とそこからの立ち直り
      p.138
    • 人間にとって、生きる誇りや生きる目標が回復されるということが、どんなに大事なことかが分かる。人間は魂の奥底から立ち上がるのであって、他人がちょっとやそっと尻を叩いてもどうにかなるものではない、ということである。
      p.219
    • しかし本当のリハビリテーションは後始末ではない。むしろそれは障害を持ったという条件下での新しい人生の創造である。
      p.230

2022年11月15日火曜日

 最近のキーワード 青緑色 人魚 白い粒 縦読み漫画 リハビリテーション 補完

2022年11月14日月曜日

縦読み漫画に出会ったのは高校生の時だった。
縦読み、タダ読み、comico!というCMが思い出される。広告通りタダで縦読み漫画を色々読めるとあって同級生たちの多くも漫画のキャラクターのスタンプを使っていたので読んでたんだと思う。「ReLIFE」とか「ももくり」とか。しかしcomicoは途中で課金制になったのでそこでかなりの同級生たちが離脱していったように見えたし私もそのうちの一人だった。
その頃にはアプリ内の漫画に韓国の縦読み漫画を翻訳したものが多くなっていて、くどいほどの美醜についての話に若干飽き飽きもしていた。

調べてみると、そもそも縦読み漫画は韓国発祥のものらしい。
web+cartoon(漫画)でWebtoonと呼ばれているのだとか。
(しかしWebtoonという名称は韓国以外の国では商標登録されているので日本ではSUMATOONや縦スク漫画など色んな名前で呼んでいるのが現状)
従来の横読み漫画だと巻売りが基本なところWebtoonは話売りなど、ちょこまか違いがあることもわかった。
数々の違いの中でも、何より、Webtoonはフルカラーで描かれるというのが一番の違いだろう。モノクロで印刷されることが多いためそもそもモノクロで描かれる横読み漫画に対し、縦読み漫画はスマートフォンの画面上でみることを想定してフルカラーのデジタル作画で制作されることが多い。そのため、韓国ではすでにアニメ会社のようにWebtoon制作スタジオがあるのだとか。人物担当、背景担当などに分かれて制作をするので作家個人の特徴が薄れやすいという傾向もあるらしい。

ふーん

少し前、「タテの国」というジャンプラで連載されていた縦読み漫画を読み切って、ずいぶん離れていたけれど縦読み漫画も面白いということを思い出した。
「タテの国」は縦読み漫画の特性を活かした画作りとコマ割りをふんだんに使ったSFで、縦スクロールによる映像的な効果が特に興味深かった。
縦読み漫画について解説しているブログによると「縦読み漫画は心理描写に長けている」とのことで、次は少女漫画を読んでみようと「氷の城壁」に手を出した。
男子2人女子2人の合計4人の高校生の恋愛模様を中心に、その周囲の同級生先輩後輩たちのリアルな心理描写が売りのようで、下に下に読み進めていくうちに一段一段梯子で心の底に向かって下に降りていくような感覚があった。

物語というものはさまざまな方向へ分岐し無数のアナザーストーリーの可能性があるわけだが、縦読み漫画はそれらの話たちを縦に長いキャンバスに矯正する。それって脊椎側弯のぐにゃりと曲がった背骨をまっすぐに直す手術と似た手つきを感じるなと思った。

2022年9月15日木曜日

術後9日目(退院日)

 夜食作戦大成功で朝まで寝られた。術後熱がずっと引かなかったけれど、今日になって無事平熱に戻ったので安心して退院できる。10時半頃、誕プレとして母にねだった長時間の座り作業でも腰が痛くなりにくいというクッションを乗せて、父が車で迎えにきてくれた。外はかなり暑かった。

 午前中の退院だったので家に着く前には空腹に。病院のテレビでずっとCMを見ていて食べたかったので月見バーガーをリクエストした。帰宅前にマクドのドライブスルーへ買いに行った。卵が入ったバーガーが好きなので普段は朝マックに行きがちだけど、春と秋は一日中食べられるのでありがたい。

 退院日でもあるが何を隠そう今日は私の誕生日でもある。車の中で、誕生日なのを思い出してか「生まれ変わった感じやね」と父に言われた。そう、24歳からはこのニュー身体と人生を歩んでいくのだ。人生パート2の始まりよ。


2022年9月14日水曜日

術後8日目

 朝4時頃目覚めたものの、背中の痛みというよりも空腹が原因な気がする。昨日売店で買ったグミを2つ食べたら朝まで二度寝できた。痛み止めを1日に飲んでいい量のギリまで飲んではいるけれど、2時間くらい座ってられるようになってきた。実家まで車で1時間半くらいなので良い感じ。

 9時過ぎに昨日の抜糸後傷の上から貼られたテープが剥がされることに。1番風呂ならいいけど、温泉やプールは1週間くらい我慢してねとのこと。シャワーはジャンジャン浴びていいらしい。

 昼食後かなり暇だったので4階から1階まで下りて上ってを4セットくらいしたり、公衆電話近くの椅子の座り心地が良かったので座ってボーッと過ごしたりした。15時半すぎたら売店へ。またお腹空いて目覚めたら嫌なので、夜食としてカゴメのグリーンスムージーを買った。4階までまた上って、休憩。

 晩飯、お風呂の後、明日退院なので荷造りをした。


2022年9月13日火曜日

術後7日目

 昨晩、16時の服薬の次は24時に服薬しないといけなかったけれど、23時頃にはかなり眠たくなっていたので1時間前倒しで服薬。4時頃に目覚めてしまったけれど疲れは取れている模様。

 5時40分頃に採血。9時過ぎから抜糸。どこかに移動してやるのかと思ったら自分の病室でやるとのこと。一瞬チクッとしたけれど気づいたら終わっていた。背中の突っ張る感じが糸のせいだったと判明! 糸が抜けて結構楽になった。肩甲骨の可動域が広がったのは大きい。防水テープだけ軽く貼っておしまい。

 今日も午前中にリハビリ。術前にやったテストと同じものをやって、体力の変化を見られた。結果は歩数も周回も立ち座りも特に変わらず! むしろ痛みから気を紛らわせるためにたくさん歩くようにしていたので体力がついていた。その後外へ出て坂を歩く練習をしたものの、30度越えでかなり暑くて1往復で退散。1階から病室のある4階までお喋りしながら上ったら結構息は上がったけれど身体は楽に〜。血行が良くなるとやっぱ痛みは消える。

 放射線科に呼ばれたとのことで1階にレントゲンを撮りに下りて、正面と横から撮影。1階はまだ外来の人たちで溢れかえっているので、一旦まっすぐ帰った。外来の人たちが減る16時ころ、抜糸セルフ祝いのために1階の売店へ行きハーゲンダッツのバニラを買った。セルフ抜糸祝い!

 食べ終えたと同時にさっき撮ったレントゲンの写真を持って主治医の先生が来た。先生によると7割矯正で背骨は良い感じになってるらしい。個人的にはお腹が張り過ぎて寸胴気味になってるのがレントゲンでも明らかであらまあって感じ。歩くようにはしているけれど道はまだ長い……。

 主治医の先生から明後日15日の退院で良いとお墨付きを得たので、誕生日の退院が決定! 「質問はありますか?」と聞かれたので、車の運転はして良いか聞いたところ全然OKとのこと。しかしジェットコースターは1年おあずけ。血液検査の結果は、炎症はおさまってきているらしいけれど貧血気味とのこと。

 19時〜お風呂。19時〜19時半の枠が最終枠で、後がいないからのんびり入れて良い。毎朝8時半から予約がスタートするので、誰かに取られる前に予約するようにしていた。抜糸後初のお風呂だったので、背中にお湯が当たる感覚が僅かに感じられた気がする。まだ防水テープは貼ってある上に、筋肉が移動したところは相変わらず鉄板なので、感覚があるところは正直まちまちではある。

 今日は7時、15時、23時にロキソプロフェンを服用した。何時まで寝られるか……。


2022年9月12日月曜日

 術後6日目

 昨晩は痛みがマシだったので寝る前のの坐薬はパスしてみることに。眠剤なしで入眠するべく、ライトをつけてもらって漫画「もやしもん」を読み眠くなるのを待った。ウトウトしたら読むのを中断して入眠しようとしたもののかなり浅くしか寝られず。別室のナースコールでも目覚めちゃうので結局午前一時頃に坐薬を入れてもらった。そのあと気づいたら眠っていたようで、6時間ぐっすり寝られた!

 朝ご飯は分厚い黒糖食パンとサラダ。初めて朝食完食! 向かいのおばあさんたちによると、朝食は基本パンだけど、言えばご飯に変えてもらえるらしい。昼晩はいつもご飯なので、私は朝はパンで良いかなと思い実践はしなかった。朝食後はいつもの痛み止めと、昨晩から始めたカルボシステイン。一晩で痰がかなり緩くなった感じがあるので、もっと早く処方してもらえばよかった。

 看護師さんからの提案で、今日からロキソプロフェンを八時間おきに飲んでみることに。これによってロキソプロフェンの血中濃度を一定に保てるので、朝方痛み止めが切れることを防ぐことができる。今日は8時、16時、24時の3回服用予定。

 午前中に1日ぶりのリハビリ! 今日は寝転び方、洗顔の仕方、ものの拾い方、階段の昇り降りをした。元々バレエをやってたからか股関節が柔らかめらしく、全ての動きを楽々こなせたので褒められた。

 お昼も完食して1時間ほど電話。喋っていると1時間くらいなら楽に座ってられる。ロキソプロフェン服用まで時間があるので、初めて1階の売店まで階段で行ってみた! オレンジジュースとピュレグミのメロン味を買って4階までまた階段を上る。背骨の位置と肋骨の位置が変わったことで横隔膜がベスポジに収まってない感じがあったものの、軽く息が切れるくらい動くとマシになる。大きく呼吸すると動くから?

 売店は屋根付きの外廊下の先の離れみたいなところにあるので、久々の外の空気だった。暑い。ロキソプロフェンが切れてきたのを感じつつ、案外耐えられるレベルだなと思う。進歩! でも16時になったので服薬。


2022年9月11日日曜日

術後5日目

 昨晩、食後のお薬(アセトアミノフェン×2)、消灯前のお薬(アセトアミノフェン×2、ロキソプロフェン、レバミピド)、寝る前のお薬(坐薬と眠剤(トラゾドンとロゼレム))を出してもらったものの午前2時半頃に目覚めてしまった。6時間空けないと2本目の坐薬を入れられないので4時まで待たないといけない。廊下を歩き気を紛らわせているうちに吐き気はないと確信。2本目の座薬を入れてもらったあとは7時半頃まで寝られた!

 朝起き抜けすぐにご飯は入らなさそうだったので一旦歩いて体を目覚めさせる。朝食は目玉焼きとパンだったのでのっけて食べた。痛み止めを飲んだあとは効き目が出るまで気を紛らわせるために歩いて、ついでに15時からのシャワーも予約。薬が効いてきたら側弯ノートタイム。向かいのおばあちゃんの摘便タイムが始まったので、臭いが苦手な私はノートを持って休憩室へ。テレビをつけるとエリザベス女王死去のニュース。

 日曜日はリハビリがお休みなので、ご飯くらいしか予定がない! ということでスケジュールを自分で立てた。やることがあった方が気が楽な気がする。


7:00 ご飯

8:00 お薬、歯磨き

9:00 漫画読む

10:00 側弯ノート、テレビ

11:00 運動(結局お喋りに)

12:00 昼食、お薬、歯磨き

13:00 運動

14:00 お絵描き

15:00 シャワー

16:00 電話

17:00 運動

18:00 晩御飯、お薬、歯磨き

19:00 運動

20:00 側弯ノート

21:00 電話、お薬

22:00 坐薬

23:00 就寝


+トイレ、歯磨き、水汲みに行くたびに病棟を2往復くらい歩く


 順調にいけば7日目(あさって)抜糸、9日目退院なので、今日5日目は水曜日みたいな気分(正しくは今日が日曜日なんだけど)。抜糸が金曜日で、退院が日曜日みたいに感じてそう思ったわけ。水曜日っていつだってよるべない感じがあるから、何か色々やってたら終わってたみたいな感じで過ごしたいところ。

 違う話になるけど、アニメとかで病弱なお母さんがやってる横に1つ結びが入院中は便利だと気づいた。キツくしばると頭皮にダメージくるし、後ろ結びだと寝にくいし。私はおでこにニキビができやすいので前髪はピンで留めて過ごしていたが、入院食がヘルシーなのもあって肌荒れすることはなかった。

 ノートを書いていたら見知らぬおじいさんが休憩室に。これから「所さんの目がテン!」があるそう。おじいさんの名は伊藤さん。自称伊藤博文の孫とのこと。OPLLで首の手術をしたらしく、首が回らなくなったんだとか。なんだかんだ昼食の時間までお喋りしてかなり気と身体が楽に! (伊藤さんが伊藤博文の孫というのが本当の場合、伊藤博文が58歳頃に生まれた子供が57歳頃に伊藤さんを産んだことになる。ギリギリ実現可能…?)

 予約の時間が近づいたのでシャワー室へ移動。明日は介助入浴の日だから自分でシャワー浴びれる人が予約できる枠が少ないとのことで、「今日ゆっくりして!」と言われた。明日も空きがあれば入りたいところ。シャワー室では床に持参したシャンプーなどを置かねばならず、いちいち術後のかがみ方(腰を一切曲げない)で取るのは面倒くさいので、介助用の椅子を近くに持ってきてその上にシャンプー類を置いて使っていた。かがむことができないので低い位置にあるシャワーの操作レバーを手を伸ばして動かすことも難しく、足で操作することも多かった。

 痰が相変わらず毎日コップ3杯くらい出るので看護師さんに伝えたところ、痰のキレを良くする薬(多分ムコダイン)を処方してもらえるか確認してくれることになった。夕食後、カルボシステインというムコダインの後発薬を持ってきてくれたので服薬開始。

 今日は坐薬だけで寝られるように眠剤は無し。果たして……。


2022年9月10日土曜日

術後4日目

 今日のリハビリは今までと違う先生で、昨日よりも長く歩く練習をした。その時に私の声がヒューヒューしているのにリハの先生が気づいて、気管に痰が絡んでいるのかもと教えてくれた。息をしにくかったのがマシになったのもあって痰のことをあまり気にしなくなっていたので目から鱗。声良くならないなと漠然と思っていたので原因がわかってよかった。リハの先生から、鼻から吸って口から吐くのを繰り返すと痰が口に上がってくることや、息を大きく吸ってハッと一気に吐く、みぞおちの辺りに手を当ててケホケホするなどさまざまな去痰方法を教えてもらった。自分でも調べてみたところ、お水を飲むと痰が緩くなって出てきやすくなるとかもあったので、定期的にお水を飲んで、痰が出てきたら出すということを地道にやってみている。少〜しだけ効果を感じたので、退院までには元の声に戻れてるやろか〜(結局これは叶わないのだった)。

 昼食もほぼ完食。お腹の膨満感がひどいので芋が出てくると躊躇してしまう……。「側弯ノート」にみんなお腹が張ると書いてたからよくあることみたい。にしてもかなりの張り具合で、お腹の張りすぎでおへそが横一文字になっていて衝撃だった。歩くと良いとか聞いたけれど本当に戻るのか不安になるレベル。

 午後は久しぶりのシャワー! 体を捻らないなどの注意点を聞き、背中に防水テープを貼ってもらっていざ。髪を洗うのは4日ぶりだったので2回洗っておいた。防水テープを剥がしてもらう時に傷を見てもらうと背中のテープが一部取れかけてるとのことで、後ほど外科の先生が来てくれることに。

 シャワー後こわばっていた身体に血が巡りほぐれたような感覚があり、現時点までで最も痛みがなかったのであった。このことから私は身体が温まることで痛みがマシになるのではと仮説を立てた。そこで、どれくらい病棟を歩くとシャワー後くらいのポカポカ度(かつ痛みもマシ)になるのか調査を開始した。何度か歩き、病棟を1周するのに大体2分半かかること、そして4周(10分)歩くと身体がポカポカしてくることがわかった。ちなみに、歩きながら軽く手を握って、指の先まで血流がきてポカポカしているかが指標だ。この時点では血流が痛みを忘れるポイントなのかと思っていたけれど、電話中や看護師さんとの会話中も痛みは和らいでいることに気づいた。私が入院した9月は同年代の子がかなり少ない時期だったので病棟におしゃべり相手はおらず、話し相手が全くいないので彼氏と毎晩30分以上電話していた。何も無しで椅子に座っているのはかなり辛いのに、電話中は大して辛くなかった。


 調べてみると、それは気のせいではないようだった。


 痛みが生じると、交感神経が優位になって、呼吸数・心拍数の増加、発汗作用、血圧上昇、筋肉の緊張などの緊急反応が起こります。すると、血流が悪くなり、血液を通して届けられるはずの酸素や栄養が行き渡らなくなるため、組織が酸欠状態に陥ります。その結果、痛みを生み出す発痛物質が放出され、痛みが増強されてしまうのです。その痛みによって、再び交感神経の興奮が起こり、同じ現象を繰り返すことに。こうした負のスパイラルを「痛みの悪循環」といいます。「痛みwith」より)


ということから、

・痛みから意識が逸れる

・血流が良くなる(運動)or 呼吸が浅くならない(会話)

ことがこの「痛みの悪循環」から抜ける手っ取り早い方法なのだろうと新たに仮説を立てた。(ヒーヒーフーという出産時の呼吸法も試してみたけれど私には効果ナシ……)さまざまに気を紛らわせられる日中よりも痛みに気を取られる就寝時が辛くなるのも当然というわけだ。一昨日、昨日と一睡もできていないので、今日は23時頃に坐薬を入れてもらい、24時頃から6時間睡眠したい。

 主治医の先生が来た時に坐薬がよく効いた話をしたら、体が大きめだからか成分倍量のものを出してくれることになった。坐薬と鎮痛の点滴と錠剤は同じロキソプロフェンという成分が入っているらしく、1日に投与できる量が決まっている。錠剤は胃が荒れやすいので、レバミピドという胃薬とセットで飲む。できれば食後の胃に食べ物が残っている頃が望ましいとのことで毎食後に飲んでいた。1日4回飲んでいるアセトアミノフェンは「カロナール」で有名な解熱鎮痛剤とのこと。


2022年9月9日金曜日

 術後3日目

 前日一睡もできなかったので、疲れで少しウトウトしていたら朝食。パンは8枚切りサイズが2枚入っていたので1枚とサラダを食べた。栄養の点滴の基準が「ご飯を半分食べられているか否か」らしいので、半分は確実に食べるように気をつけてた。

 お腹いっぱいでウトウトしていたらリハの先生が。この日は歩行器有りと無しでの歩き練習をすることに。初めは左足がフワフワしている感じがあったものの徐々にマシに。歩けているので尿管も抜いてもらえることに! 管を抜いても特に痛みも血尿もなく、ほんまに刺さってたんかなと疑うほどだった。リハビリ時に先生から「トイレ行くたびに廊下何往復かしよか」と提案されたので真面目に2〜3往復をトイレ行くたびに遂行。どんどん元の歩幅に近い歩幅で歩けるようになっている実感があって嬉しかった。

 何故かはわからないけれど、熱っぽくてぼーっとするけど背中痛くて寝てるのも辛い時は、何往復か歩いてみると熱が下がって楽になった。前〜にウイルス性の肝炎になった時はアクティブになると熱が上がったのでおとなしくしていたものの、側弯の場合はどんどん動いた方が良さそう。

 点滴に戻りたくなさすぎて、気合いで昼も夜も半分以上食べた。

 今日こそ寝られるかと思いきや案外寝られず……。ハロプロのMVやライブ映像を観て朝が来るのを待った。口パクで一緒に歌ったり、手だけでフリコピしていたら痛みから気を紛らわせすことができた。昨日坐薬が効いたけれどやっぱり少し抵抗感があって、消灯後は1本だけ鎮痛剤の点滴を入れてもらうことにした。点滴が体内に全部入った後、針が限界を迎えているとのことで抜いてもらった。これで全ての管が抜けた!


2022年9月8日木曜日

 術後2日目

 朝、昨日の昼と夜に少し食べたものを全部戻してしまった……。吐いたあと口をゆすぐこともできず地味に辛い。この時の私にはお水を持ってきてほしいと言う気力もなかった。この辺りで、自分がうまく声を出せず、聞き取れるような声を出すのに結構なエネルギーを使うことに気づきはじめた。ミッキーマウスみたいな、すっとんきょうな声しか出なくなっていたにも関わらず、そのことをツッコむ人は1人もおらず、明らかに声が出ていないのに思ったよりコミュニケーションも成立していたので気に病むほどではなかった。

 看護師さんによると身体に2つ刺さってる麻薬の痛み止めの点滴が吐き気をもよおしやすいらしく、黒い布袋に入ってる方はもう止めても良いよと言われた。その後様子を見にきた麻酔科の先生に、痛みか吐き気のどっちを取るかだけど麻薬の点滴を取って痛みが増しても良いのか確認された。麻酔科の先生は痛みをとった方が良いという考えのようで私は少し押され気味だったが、吐き気の方が辛かろうというスタンスの看護師さんの勧めで夜にはとってもらうことになった。正直背中は鉄板みたいになっていて感覚がやや麻痺していたので、この麻薬の点滴を取ったことによる痛みの変化はよくわからなかった。

 看護師さんから「リハビリを受けると容態が好転する人が多い」と聞いていたので、私はリハの時間を心待ちにしていた。早く良くなりたくてリハの先生に午前中に来てもらったものの、フワフワ、フラフラで車椅子への移動と立ち上がりしかできず。10分くらいで希望のリハビリタイムは終わってしまった。絶望の淵の中ベッドにカムバック。今日はベッドを60度まで上げて良いということで、昼食時に副看護師長さんが(半ば強引に)上げてくれた。60度どころじゃなくほぼ90度な気がしたけれど、このことがきっかけでまさかの元気が戻り始めたのだった。上体を起こした状態でご飯を食べられたことで、お腹の膨満感もややマシに。

 それまでスマホを注視するのも辛かったのに、上体を起こすとLINE POP2やSNSも少しずつできるようになっていった。そんな様子を見て、副看護師長さんが「側弯ノート」を持ってきてくれた。側弯の手術件数が多い病院ということで始まった、手術体験記が代々書かれているノートである。日毎にどういうことがあったか結構詳しく書いてくれている人が多くて、みんなが術後2日目や3日目をどう過ごしていたのか何度も読み返した。ノートを読み込んでいく中で、私は大半の人が術後2日目で歩いているぽいと気づいてしまった。みんな歩けてるなら私も歩けるはずなんだが!

 午前中のリハではギブしてしまったけれど今の状態なら歩けそうという自信もあって、定期的に血圧とか測りに来る看護師さん全員に「歩きたいです」と訴えた。が、「初歩きはリハの先生がおった方がな〜」と翌日にまわされそうな事態に。しかし、夜に様子を見に来てくれた副看護師長さんが若手の看護師さんに「連れてったり〜」と言ってくださった。

 尿管や色々点滴が着いた状態ではあったものの、ジュースを買いに休憩室まで歩けることになった。月から帰ってきたのかというくらい重力が重くのしかかる感じがあったけれど、執念でふらつくことなく歩ききった。休憩室の自販機前まで行き、スッキリ甘いものが飲みたくてウェルチの果汁50%のやつを買った。歩きも割と安定していたので、同伴してくれた看護師さんに「明日から歩行器なくても歩けそう」と言っていただけたのが素直に嬉しかった。

 ところがどっこい夜は一番キツかったのだった。どの姿勢でも背中が痛くて、飲み薬も点滴も最大量使ってしまったため眠剤を貰ってみたものの効果は無し。更に吐き気が襲ってきて、痛いやら吐きそうやらで、足をバタバタさせたり暴れていた。あまりの辛さにヤギ合宿中の荒川さんに電話したらしげさんが出て、やや正気を取り戻した。坐薬の鎮痛剤を入れてもらったところ少しマシになったけれど、吐き気との戦いは続き一睡もできず。吐いたのは初歩きで買いに行ったジュースだけだったので、ご飯吐いて点滴に逆戻りにならなくて一安心。でもせっかく買ったジュースだったのでちょっと残念でもあった。

 吐き気をもよおす麻薬の痛み止めは背中にも刺さっているらしく、見てもらうと刺さっている管のところから出血していたので翌朝抜いてもらうことに。これで吐き気ともきっと決別できる。


2022年9月7日水曜日

 術後1日目

 今日は体を30度までしかかたむけてはいけないらしく、朝ごはんはギブ。(事前におかゆは苦手で一という話を主治医の先生にしたら、老人じゃないからお粥は出ないと断言されたものの、このツラさやと逆におかゆくらいしか入らんで……!という気持ちになった)。ちなみに朝ごはんは丸いパン2つとサラダだった。横になった状態でどうやって食べんねん。首だけ少し持ち上げ、水差しで水を少し飲んで朝ご飯終了。看護師さんたちが気を利かせてスマホを充電しといてくれたけど見る気力なんてゼロ。

 朝ごはんタイムが終わったのでCT撮りに1階へベッドごと移動。移動式ベッドをCT横につけ、体の下にマットみたいなのを入れ、滑らせてCTの寝転ぶところまで移動させてくれた。バンザイの姿勢で撮影。地味にキツイ。CT後、ベッドごと移動されて久々に自分の病室に戻ってきた。

 人差し指に挟んだ酸素飽和度見るメーターによると酸素が足りないらしく、鼻に酸素が出てくる管を入れられた。しかし喉に痰がめちゃくちゃからんで呼吸がうまくできない……。呼吸するたびに吐ききれない空気でお腹が膨れている気がする。昼も夜も少ししか食べられなかったので引き続き点滴生活、尿管の違和感は全く無し。

 消灯後、隣のおばあさんのいびきがうるさすぎて、夜勤の看護師さんにカバンから耳栓を探し出してもらったけれど耳栓をもぶち破ってくる音量にお手上げ。ベッドの上で朦朧としながら過ごしていたら夜が明けた。

 この朦朧と過ごしている間、シャッターを切るたびに風景が切り替わるカメラのおもちゃみたいに、目を閉じるたびに変な情景が見えるスーパーカオスタイムがあってちょっと楽しかった。麻薬を使った痛み止めの点滴が2本刺さってるから、これがキマるということか……? と思った。大麻には幻覚や妄想を引き起こす効果があると厚労省が公表しているPDFに書いてあったがいかに。唯一「これは覚えとこ」と思った情景だけ後日スケッチしたのが残ってるけど、あとは全部忘れてしまった。その覚えている情景とは、インドの壁画みたいな平面的な空間にお盆を持つ時の形をした手が大量に浮遊しているというものだった。

2022年9月6日火曜日

 手術当日

 7時から絶飲なので、6時58分くらいに水をガブガブ飲んだ。手術後の一晩を過ごす集中治療室(ICU)に持って行く荷物をまとめておくように言われ、ICUへのしおりみたいなのを見ながら準備を進めた。歯ブラシやストロー付きのコップ、スマホの充電器やタオル数枚、お借りした前びらきの術衣やおむつを袋に入れた。遠足前日みたいでちょっとおもろい。

 先ほどまとめたICU宿泊セットを持って8時50分くらいに手術室へ移動。移動時は自分のパジャマを着て行った。手術室とICUのある3階は降り立った瞬間から全てが青緑色だった。壁も床も扉も青緑色なので、補色の関係で視界に赤味が増す。青緑色に囲まれてはじめて「これから私の身体に手が加えられる」ということに自覚的になった。

 「寝ている間に全部終わる」と聞いていたけれど本当にその通りで、白くてふわっふわのベッドに寝転んで呼吸器(麻酔)をつけたが最後、ぼんやり「手ぐーぱーして」「お名前は?」など聞こえてきた時には手術は終わっていた。気づいたら術衣を着ていて、尿管もついていて不思議な気分……。てか着てきたパジャマどこいった?

 両ふくらはぎには血栓を防止するためのバルーンみたいなのもついてて、片方ずつふくらんではしぼんでいく。この時点ではこれくらいしかヒマつぶしになるような外からの刺激が無かった。床ずれ防止のために、夜の間中2時間おきに看護師さんが右と左に交互にクッションを入れて体をかたむけてくれた。効果があるのか正直よくわからなかったけど委ねるしかなかった。


2022年9月5日月曜日

 手術前日

 診察券を機械に通し、出てきた予約票には晩ごはんのことが書いてなかったので夜から絶食なのかと落胆していたけれど杞憂だった!

 まずはPCR検査。ここでダメだったら貯血も振り出しに……。鼻に突っ込まれるタイプの検査が初めてだったので緊張。棒を結構鼻の奥に突っ込まれたなと思ったら、そこからさらに「せーの」で喉奥くらいまでドンっと突かれてめちゃくちゃむせた。無事陰性だったみたいで、先生方との面談タイムに進めることに。主治医の先生と麻酔科の先生それぞれから手術についての具体的な話を聞く。

 主治医によると私は元来骨盤が前傾した反り腰気味で、黒人に多い骨格らしい。知らなかった。姿勢がどうとかではなく生まれつきのものとのこと。腰が反るのに腰の動きのリソースがあらかじめ割かれているらしく、腰の下の方まで留めてしまわない方が良さそうということで、手術では胸椎の矯正を優先することに。

 1回私1人が病室に案内され、麻酔科からの呼び出しまで1人で待機。呼び出されたらエレベーターで移動し両親とプチ再会。麻酔の先生から、麻酔時に無意識に歯軋りして歯が欠けたり舌が傷つく場合があるなど色々な注意事項を聞いてサインを書いた。お話が全部終わったので次こそ本当のお別れ!

 1人でまったりしてるとリハビリの先生に呼ばれ、事前の体力を記録するための簡単なテストをいくつかやった。10㍍を何歩で歩くか、6分間にリハビリ室を何周歩けるか、座って立ってを何回繰り返せるかの3種だったはず。術後に気を付ける動きについて写真付きの解説プリントをもらって簡単にレクチャーしてもらったりもした。

 背中の手術だからシャワー時に丁寧に洗うように言われたけど、術後数日お風呂は入れないだろうから全身ピカピカにしておいた。昼はカレーライス、夜はぶりの照り焼きを食べた。9時~絶食、翌朝は7時~絶飲なんだとか。

 夜は22時に消灯されたけど全然眠くなかったので「もやしもん」を4巻から最終巻である13巻まで読破。そういえば術後できなくなる姿勢がいくつもあるのでひとつひとつそれらの姿勢をとってみた。具体的には背中を丸めたり反ったり左右に曲げるような姿勢。せっかくなので術後できなさそうだしうつ伏せで肘を立てて少し背中を外らせた姿勢で漫画を読んでみたりもした。せっかくだからやっといたけど、やりながら、できなくなってもまあそこまで悲しくないかもと思った。ある日海老アレルギーになって海老フライが食べられなくなる方がきっと悲しい。明日への不安とかは特にないまま、すやすや就寝。


2022年8月29日月曜日

 貯血2回目

 父が休みを取ってくれたので、自分で運転することなく2度目の貯血へ。父によると、血を貯めるパックをお菓子作りで使うようなはかりの上に乗せて定期的に看護師が重さを確認することで貯血がなされているらしい。父は、献血場にある自動的に血の量が量られると同時に血が固まらないようかき混ぜ続ける機械とか使うんかと思ってたらしくて、あまりのアナログさに驚いていた。貯血中はベッド下が見えないので、どうなっているのか写真に撮ってもらった。写真を見ると、腕のチューブから床に置かれたはかり上のパックまで血が滞りなく流れていくように、チューブはウォータースライダーみたくくるくる下ろされていた。
 貯血が終わったら呼吸の検査。鼻にシンクロナイズドスイミング選手みたいなクリップをつけられ、口だけでチューブに向かって呼吸しろとのこと。先生の「吸ってー、はい思いっきり吐いて、吐いて、吐いて、吐ききってー」という言葉に合わせて呼吸する。するとよくわからないグラフがパソコンの画面上に描かれる。そのグラフによると、肺活量が特段良いわけではないけれど悪くもないらしい。
 追加のMRI撮影予定が入ったもののこの日は急患が多くかなり時間が遅くなるとのことで、明日に回してもらうことにして帰宅した。

2022年8月22日月曜日

 貯血1回目

 朝起きたら右目が土偶になっていた。貯血のために昨日実家に前泊しにきたら、実家にいる2匹の猫(マンチカンとエキゾチックショートヘア)に反応してか目が痒い上にくしゃみがとまらない状態になった。アレジオン飲んで寝たかったけど、翌日貯血だし我慢して寝た。貯血1週間前からサプリとか色々やめないといけないと薬剤師から言われていたのでアレジオンもよくないかなと勝手に判断したわけ。そしたら見事に土偶になってしまったのだった。

 目の腫れがあまりにもひどく、腫れた瞼に押し出され続けているかのように涙がとまらないので、9時のオープン即眼科に駆け込むことにした。貯血は14時から、12時に家を出れば間に合うので時間はあるはずだった。上京後にできた眼科なので初診問診票を書いていると電話が。

「今日、貯血だけじゃなくていろんな検査もあるから午前中に来ていただきたいんですけど知ってますか…?」

 病院からまさかの事実が告げられた。眼科に来ているのでちょっと遅刻するかもしれないと伝え、同じく14時からだと思って油断しているであろう母にも連絡。案の定慌てていて、眼科が終わり次第出発することに。

 順番が来たので診察室へ移動。眼瞼炎はアレルギーやウイルスなどいくつかの原因が考えられるらしい。その中でも突発性のものは大体ウイルス性ということで、涙を採取してウイルスの反応があるかの検査が行われることになった。へーとのほほんとできていたのも束の間、

「上を向いててね〜」

 と言いながら、医者が下瞼をめくり、瞼の裏に長ーい綿棒を横向きに押し付けてきたのだ。正味白目にも擦り付けられてた気がする。目薬が苦手だから未だコンタクトデビューを見送っているというのにひどい仕打ちだった…。しばらく右目が使い物にならなくなった。右目の視覚が復活してきたので辺りを見渡してみると、医者と看護師は採取した涙を入れた試験管を見ながら首を傾げてやがった。どうもウイルスの反応がなかったらしい。しかしウイルス性であるという姿勢を医者は崩さず、殺菌性のある目薬を処方してくれた。

 家に帰って目薬をさした時、涙と一緒に目から粘膜に包まれた長ーい白い毛が出てきた。薄茶と白色の長毛を持つエキゾチックショートヘアのぽたのものに違いない。完全にこれが土偶化の犯人だろと思いつつ処分。念の為この日一日は目薬を言われた通りにさしたが、目から毛を抜いた瞬間から明らかに瞼の状態は好転し、翌朝にはほぼ完治したのだった。


 時間を巻き戻して受診後。もしかすると来週は1人で運転して貯血に行くかもしれないので、助手席で道を確認しながら病院へ向かう。高速道路で大切な分岐は3回現れると把握。出口がトンネル明け即なので終盤は左車線にいた方が安心だと覚えておくことにした。

 久々の病院は今日も薄暗い。受付で、貯血は「移設」ではなく「施設」のイントネーションなのだと知る。身体測定をして、体重が50㌔㌘あることを確認。50切ってると1回の貯血で確か200㍉㍑しか取れないらしい(50あると400㍉㍑)。

 ベッドに寝転ぶと、左腕の内肘に血を取るための管が刺された。管は十字みたいに分岐していて、プスプスいろんなところに刺さなくても、分岐した管を使って1つの穴から血を出したり点滴を入れたり同時並行で注射もできる優れもの。今回は血を400㍉㍑採った分、点滴を400㍉㍑入れるんだそう。担当の先生がその説明をするときに「血を抜いた分点滴で水分をお返しして〜」と言ってたのがなんかおもろかった。お釣りやないねん。

 貯血と点滴合わせて1時間ちょいかかるとのことでエムオーエム(母)は軽食を食べに食堂かどっかに行った。看護師さんは、10分おきくらいに私が失神していないか様子を見にきてくれる。私は血管が太いらしく、かなり順調に貯血が進んでいるらしい。あまりの進捗の良さに、看護師さんが「血管が良い!」と褒めてくれた。前に執刀担当の先生には心臓が大きいて言われたことがあると話したら「褒められまくりですね!」とも言ってくれた。数年前、今回執刀担当の先生に初めてレントゲンを見てもらったときに「心臓大きいって言われたことないですか?」と何回か聞かれたということがあり、久々にそのことを思い出した。

2022年7月2日土曜日

クックパッドなどでさまざまな家庭の条件を比較検討しながら、私の家での温泉卵レシピを見定めている。
前回はスタバのタンブラーに冷蔵庫から出したての卵二つを入れ、湯沸かしポットから90度のお湯を注いで50分放置した。結果としては、下に重なっていた卵がギリギリ温泉卵と呼べるような状態で、上にのっていた卵は黄身が熱で僅かに球体をとどめているものの白身は完全に生の状態であった。
今回はスープジャーの中を90度のお湯で軽くすすいで余熱を与えた上で冷蔵庫から出したての卵一つと90度のお湯を入れ、15分ほど放置した。
すると、少し固めの温泉卵が無事出来上がった!

白米と食べようとしていたので今回の15分くらいの黄身がねっとりしている仕上がりがちょうど良かったが、うどんなどに合わせる場合は13分とかで引き上げて柔らかめに仕上げるのも良いかもしれない。

似たようなものに器に水と卵を入れてレンチンするレシピがあるが、これだと先に白身がプリプリに固まってしまって、温泉卵に求める卵のソース化という部分でやや難ありなのだった。

ゆで卵もそうだけど、割ってみるまで成功しているかわからないというのは案外スリルがあって、
その日一日の気分にも影響するので、今後も真面目に取り組みたいと思う。

2022年6月18日土曜日

今日は久々にショッピングモールへ出かけた。

そこのショッピングモールは駐車場のシステムがしっかりしており、入り口前には今空きが全体で何台あるのか、立体駐車場には各階の空き台数がわかる電光掲示板があったり、

駐車場から通りに出るまでの時間の目安が館内モニターで掲示されていたり、わからないことによるストレスを解消するさまざまな工夫がなされている。


その中で一番便利だなと感じるのが、駐車スペース一つ一つにセンサとライトがあり、空いていると緑、停まっていると赤に光るのがずらっと見えるというシステムだ。

車が並んでいると、空いているのかと近づいたら軽自動車が停まっていた……という悲劇がしばしば起こるが、このセンサライトによって空車が可視化され、緑のライトが光っている箇所を探すだけでよくなる。


急に、同乗者が緑のライトに引き込まれる様子からグレートギャツビーを想起したと話し出した。

話を聞くと、ある男性が、川沿いにある意中の女性の家の対岸に豪邸を建て、様子が気になったその女性が来訪するまで、豪邸を緑に光らせて毎晩パーティーをひらくという描写があるらしい。

そのあと女性は来たのか尋ねたら「来たけど最後男は自殺する」と答えられた。

前後の文脈を何も知らないので、そんな……と思った。

ちなみに、アメリカンドリームの盛衰の物語らしい。


入館しモール内で目的のものを一通り買ったあと、韓国のものが色々売ってある店でチョコパイを見つけた。

前に話していた餅チョコパイか?!と思って買ったが普通のチョコパイだった。(餅の乱参照)

なので餅チョコパイは重さですぐ気づくか否かは未だ検証できていない。


帰宅後、家を出る前に仕込んでおいたコーヒーゼリーときゅうりの浅漬けを食べた。

コーヒーゼリーは砂糖を入れないで作ったので、バニラアイスを乗せて混ぜながら食べたら美味しかった。勘でコーヒーカップ二杯に対しゼラチン一袋を使ってみたがちょうど良かったように思う。

きゅうりの浅漬けは昨日昆布茶だけで漬けたら塩味が少し足りなかったので、今日は少し塩を足して漬けたらちょうど良かった。

ご飯の友にしたいならもう少し塩が多くても良いかもしれない。

2022年6月16日木曜日

座りでの指点字通訳の際、通訳する盲ろう者がいない方の肘が机と当たって痛むので、肘当てとしてぬいぐるみ寄りのクッションを作ってみた。



翌日早速このクッションを使ってみたのだが、ふわふわしすぎていて肘の位置がクッション内で定まらず、逆に腕が疲れるという結果になった。
良かれと思ってたくさん詰めた綿が凶とでたのだった。

可愛いのが良いなと思いぬいぐるみに使われるボアというふわふわな布を使ったが、汗ばむとちょっと気持ち悪いということもわかった。

これから暑くなることも考慮して、タオル地の薄っぺらいものを改良版として作ろうと思う。
試行錯誤の日々の始まりだろうか。

2022年6月15日水曜日

ふと、そういえばマツケンサンバを通しで聞いたことってないなと思いYouTubeで調べてみた。

すると「マツケンサンバⅢ」がヒットした。
Ⅲ……? と思ったが、一番有名なマツケンサンバは「マツケンサンバⅡ」らしい。
まさか三部作とは知らなかったので驚いた。

マツケンサンバⅡは私が幼稚園の年中さんの頃に大ヒットし、幼稚園の自由時間に教室内でループ再生しみんなで踊り狂った時期があった。そこから記憶が更新されていないためサビの部分しか把握していなかったのだが、イントロが長く1分以上あるなどさまざまなことを知ることとなった。

そして松平健のYouTubeチャンネルもあるとわかった。
その名も「マツケンtube」。
それがどの動画も想像以上に編集が凝っていて結構面白かったのだ。

MVはMADムービー調のものが多く、音と映像のリズム的な快感が重視されているなと思った。
ラスサビに向かって盛り上がっていくところはあるが基本的にストーリー性はないため、ループ再生で1時間耐久もののようにしても全く苦ではなさそうな感じがした。やってないから実際どうかは知らんけど

特に印象的だったのは「マツケンアリマ」という有馬記念とのコラボ動画だった。
この動画は「マツケンサンバⅡ」のMVを踏襲したMADムービーになっている。
「マツケンサンバⅡ」の独特な歩幅の小さいステップがミラーボールでの玉乗りにコラージュされていて、なるほど〜と思った。そもそもとして、衣装で着物を着ているので着物の裾に制限された歩幅が小さい振り付けになっているのだろうと思う。
別の動画で、収録終わりの松平さんが上に重なっている方の裾を手に持ってズンズン歩いているシーンがあった。カメラの存在に気づいた瞬間裾から手を離したので一瞬ではあったが、裾の上げ下げで歩幅に影響があることがよくわかる場面だった。

あと印象的だったのは「暴れん坊将軍のテーマ」という動画だ。
この動画では、暴れん坊将軍のテーマ曲に歌詞をのせ、さらに踊る様子が収められている。
そのダンスは腕だけを使った簡単なもので、おじさん5人が並んで簡単な踊りを踊っているので結構シュールな画になっている。
その動画のコメント欄に、「老人ホームで高齢者の方も車椅子の方も座ったまま踊れるので良い」というような投稿があったのを見た。他にも、「毎日踊っていたら肩の調子が良くなった」などのコメントもあった。

他にも料理をしたり、朗読をしたり、カードゲームに挑戦したりなどさまざまな動画があった。
そのどれも間を意識した動画編集がされており、番組としてのクオリティの高さが印象的だった。

松平健は高齢者界の歌のおにいさんであり、マツケンtubeは高齢者界の教育テレビなのだなと私の中で一旦結論づいた。

2022年6月14日火曜日


ちょっと前、ライトブレーラーの修理を試みた。
このライトブレーラーを生産していた会社は既に閉業しており、修理用の替えの部品も無いらしいので、なにかあったときは自分でなんとかするしかないのだった。

ライトブレーラーというのは日本で手作りされていた点字タイプライターのことで、アメリカで生産されているパーキンスブレーラーが10万円近くするのに対し、このライトブレーラーは2万円ほどという安さを売りにしていたらしい。

パーキンスブレーラーは下から点を打つ仕組みに対して、ライトブレーラーは上から点を打つ仕組みになっている。つまり、ライトブレーラーは点字版で点字を打つ時と同じように点の位置を左右反転させないといけない。
私が習得した指点字はパーキンスブレーラーに倣ったパーキンス式なので、ライトブレーラーで点字を打つのは正直苦手である。ちなみに、右手と左手をクロスさせるとパーキンス⇄ライトとなるので、頭がこんがらがったらそのようにすれば良い。

修理の結果としては、それぞれ原因の異なる2つのライトブレーラーから、動くライトブレーラー1台とどうしようもないライトブレーラー1台が生成された。
どうしようもないライトブレーラーも貴重な部品の宝庫ではあるので、引き続き保管されることになった。
ライトブレーラーはほぼネジで組み立てられており、とんでもなく複雑な仕組みでもなさそうだったので、いくつか分解→組み立てを経験すれば修理ができるようになる機運は感じた。

各家庭や学校に分散したライトブレーラーをヤフオクやメルカリでかき集めてみようかと思う。


2022年4月19日火曜日

寝る前に休学中でも応募できる奨学金について調べていたからか、寝ようと思って横になっても頭がグルグル起動したままで全然寝れそうにない。
そのことを相談してみたところ、
「脳のギアが落ちてないから意識的に落とす必要がある。数字とか数えてみたら?」と言われた。

半信半疑ながら数字を小声で数えていくと、みるみるうちに頭の中のグルグルがグル…グル……とゆっくりになっていくのが感じられた。
200くらいまで数えた頃には疲労感さえあって、数字数えを中断した後すぐに眠りに落ちることができた。


2022年3月14日月曜日

最近毎晩10時間以上寝ている。
正直いくらでも寝られる勢いなのだが、お腹が空くのでそれくらいで起きることが多い。
なんでそんなに寝られるのか。疲れるような作業をしたわけでもないし、むしろお昼寝している日もあるので何故だろう…と思っていたが、今日、多分花粉症の薬のせいではないかと思い至った。

花粉症の薬は、薬に含まれる抗ヒスタミン薬が体内のヒスタミン受容体と結合することでアレルギー反応が抑えられるという仕組みらしい。しかしこのヒスタミン受容体には脳の働きを活発にするという作用もあるらしく、花粉症の薬に含まれる抗ヒスタミン薬を服薬すると「脳の活動が低下する」という副作用を引き起こすのだそう。そして、この抗ヒスタミン薬は、特に飲み始めの数日は薬の血中濃度が急激に高くなるためこの副作用が強く出るとのことだった。

数日前から花粉症の症状が出てきて薬を飲み始めたところだったので、この線は濃厚そうだ。

こういうことを調べると、図解でY字の物質や菱形の物質など幾何学的な形がたくさん出てくるけれど、T2ファージのように割と本当にこういう形をしているのだろうか。
見えないから実感が無いけれど、本当にそうなら明快で良いなと思った。
今、とり・みきや横山裕一の漫画のような、幾何学的な線で描かれた世界が頭の上に浮かんでいます。

2022年3月8日火曜日

昨日は色々な検査を受けた。
身長体重計測、6本の採血と検尿、仰向けと立像のレントゲン、CTスキャンをやった。

特に仰向けのレントゲンが印象的だった。
この検査は私の背骨のポテンシャル確認のため、仰向けに寝転んだ私の頭部と脚を引っ張って背骨がどこまで伸ばせるのか、S字はどれだけI字に近づくのか見るものである。
検査の流れを思い出してみる。
いつも立ってレントゲンを撮っていたので拍子抜けしつつ硬い樹脂製の台に仰向けに寝転ばされるやいなや、首のコルセットのような頭を引っ張りやすくするための器具を装着された。するとバックヤードから現れたプラス2人の技師に片方ずつ脚をしっかり抑えられ、その状態でカウントが始まった。レントゲン写真がブレないように息を吸って止めた瞬間、グッと頭部を引っ張られた。じわじわとではなく撮影の瞬間にグッと引っ張られたので、思わぬ勢いに首がバキバキバキ!といって技師さんにめちゃくちゃ笑われた。でもバキバキいっただけで、引っ張られたことによって背骨が伸びた感覚はあまりなかった。しかし撮られたレントゲンを見ると思ったより伸びていて、担当医にも「歳にしては柔らかい」と言ってもらえたのでそれは素直に嬉しかった。

時間を戻してレントゲン後、私は髪ゴムをレントゲン室の更衣室という狭い空間内で失くしてしまっていた。レントゲンの際、身に付けている金属は全て取り外さねばならないので、小さい金具のついた髪ゴムも眼鏡と一緒に外してカゴの中に置いといたらゴムだけ見当たらないという事態になったのだ。技師さん2人が洗濯前の検査着を全部確認してくれたり、あちこち探してくれたけど見当たらない。なぜそんなにも執着したのかというと、帰京の際に髪ゴムをひとつしか持ってきていなかったのと、それが細い髪ゴムを三つ編みにして金具で留められた少し意匠を凝らしたタイプの髪ゴムで、手放すのは名残惜しく思っていたためであった。だがここで時間を取られるわけにもいかないのでそろそろ諦めるか……と思った矢先、床に這いつくばっていた技師さんがレントゲン装置の下から髪ゴムを見つけ出してくれた。
その髪ゴムは束ねた髪から外したままのような丸まった状態で、髪ゴムと言われてパッと想像する形からは少々かけ離れていた。ペットボトルキャップ大程の黒いネジネジの塊と言えばなんとなく想像がつくだろうか。髪ゴムということで黒い輪っかを無意識に探していたものだからこのことは盲点だった。

病院というのはなんとなく、死という分岐点が鮮明なところとか砂浜と似ているなとも思った。

2022年2月25日金曜日

渋谷区と目黒区の堺らへんの歩道で、腹を喰われた小鳥が落ちているのを見た。
抜けた羽の塊かと思ったら肉と骨が見えたので死体だとわかった。

それは灰色の羽を持つ鳥で、背骨と首の骨がまっすぐ伸びた先に安らかな顔をした無傷の頭部がついていた。
柔らかく閉じた目に軽く閉じた嘴。
それはそれはあまりにも安らかな顔で、すぐ隣で行われている道路工事の作業員の苦しそうな顔と対照的だった。

写真を撮ったものの、閲覧注意だなと思いアミ点加工をしましたが
注視するかはお任せします。



2022年1月15日土曜日

舌用のシリコン製ブラシが届いたので、今日から舌磨きをはじめることにした。

説明書きによると、味蕾を傷つけないように優しく奥から手前へ引いて使うらしい。
味蕾が傷つくのは確かに良くなさそうだけれど、傷つくことでどうなるのか具体的にはわからなかった。

味がわからなくなるとか?
それならかなり一大事だし、ごしごし舌磨きをしている層へもっと声を大にして主張したほうが良いと思ったがいかに…。

2022年1月1日土曜日

半年前くらいの文章


 換気というものはせっかく部屋を涼しくしたり暖めた努力を水の泡にしているような気がしてあまり気が進まない。学校では口酸っぱく換気をしろと言われたものだがどれほど大切なのかと調べてみると、人間1人は1時間で呼吸に約6畳間分の空気を使うらしいと書いてあった。つまり自分の部屋に1時間いるだけでその部屋の空気全てが1回私を通っているということらしい。その間二酸化炭素濃度は高くなっていき、そりゃだんだん眠くなるわけだ。私の部屋は部屋として特段広いとは思えないが、ここにある空気全部を吸うものとしてみるととても量が多いように感じる。多分スキューバダイビングをするときに背負う酸素ボンベの大きさと比べてしまうからだろうが、空気には色々混じっている上に圧縮もされていないのでそりゃそうかそうなのかとも思う。


 《部屋/形態》において絵具は部屋の中から流出することはない。その映像は完全変態の昆虫が厚いさなぎの殻の中で体の中身をすごい勢いで作り替えていく様を想起させた。

 水にインクを垂らせばインクの粒子は自然に拡散し水の中に広がっていくように、自然界では物質の状態は全て乱雑さが大きくなる(エントロピーが増大する)方向に動く。そのため生物は皆、無秩序さを減少させて生態を維持しようとし続けている。しかしさなぎという状態は外界からシャットアウトすることで自分の体の組織をさなぎ内で作り替えることに集中する。つまり自然界から閉じこもることにより己の秩序を保ちながら変化していくのである。

 窓を開ける(換気する)ということは、エントロピーが増大する不可逆なことであると言える。しかし、《部屋/形態》に登場する部屋は窓はあるものの開く兆しは無い。先ほどのさなぎのように、密室状態である。その密室内で絵具たちは蠢き自らを作り替え続ける。ただ、さなぎと異なるのは羽化という終焉がないということである。巻き戻しという映像の特性を用いることで、《部屋/形態》はさなぎであり続けることが可能になる。


 一方ぬいぐるみというものは負のエントロピーの究極に近い状態と言えるだろう。散逸構造と無縁のぬいぐるみにとっては、表面に現れている色や形がその全てであり、詰め込まれている綿やビーズは内側からそのシルエットを補強するものにすぎない。内側と外側からの圧力差で、その外側の表面にぬいぐるみはあらわれる。

 似て非なるものに着ぐるみがある。着ぐるみはウレタンやセシーナでキャラクターの外骨格を作るが、何よりの違いは中に人間が入るということである。空っぽの中身に人間という筋肉や内臓器官を補填することで命を宿すのだ。一方、人間サイドからするとそれは最小単位の密室だと考えることもできる。私は試作品の着ぐるみに入ったことがあるが、試作品だったので目は開いておらず、入るとそこは薄暗い個室のようだった。外からの声に任せて身動きを取ってみるけれどだんだん声の方向があやふやになってどっちが前でどっちが後ろなのかよくわからなくなった。進みたい方向や向きたい方向という欲望が私の内から無くなると、外の世界における「前」という概念は無意味なものに感じられた。それはただ私はここに立っていて、どんな方向を向いても目の前にはスポンジの壁が見えるという事実だけが確固たるものとして理解できる状況である。