今日は中野から西荻窪まで散歩した。基本的には中央線の高架下の通路を歩き、通れないところは線路沿い、線路沿いも通れないところは住宅街を歩いた。住宅街は行き止まりが多くて迷路かよと思うところが多かった。生まれと育ちは京都で、そこでは道と言えば基本的には直行していたので、東京のぐねぐねとした道には未だ慣れられていない。迷いながら歩いていると様々な形のブロック塀の穴があり、写真を撮ってまわった。
阿佐ヶ谷アニメストリートというものがある。阿佐ヶ谷駅付近の高架下にあり、一時期は栄えていたらしいが私が行った頃にはほぼシャッター街状態だった。ここに寄りたい店はないだろうと思いつつ現存する数軒の商店を少し覗きながら歩いていた。一軒ガチャガチャが沢山並んでいる商店があり覗いてみると、今日はいいやとやり損ねて以来出会えてなかったガチャガチャに出会ってしまった、ミニチュアの信号機のやつです。マジかと思いながら客も店員もいない店内で一人ガチャガチャをした。
当たったのは歩行者自転車専用の信号機で、スイッチをONにすると赤信号が光るやつでした。ケースに同封されている説明書に日本信号からのメッセージが載っていた。
交通信号制御装置の他、鉄道信号制御装置・駅務自動化装置、駐車場自動化装置の製造及び販売をしています。
より安全で優れたシステムで支え、
人々が安心して利用できる交通インフラの実現に貢献しています。
普段点灯している信号が災害等で消えている不安感。
点灯したことにより日常に戻った安心感。
あなたにもありませんか?
最後の段落の文章にハッとさせられた。私はまだ災害等の被害をモロに受けたことが無いのでこのような不安を感じたことがなかったし、信号が消えていることに不安を感じるだろうと考えたこともなかった。
変わらない毎日は、私の知らない仕組みによって今日も繰り返されている。そんな身の回り全ての仕組みに意識を注ごうとするなど到底不可能で、無意識の内に日常という枠にはめこむことでそのことを気にせず生活している。
私にとって信号の点灯は気にしたことの無い日常の一部だった。
想像の中でいつもの通学路を歩いてみる。途中にある信号、遠くに見える信号、その全てが点灯していないとすればどう感じるだろうか。車通りが少なく大体の人が無視している機能していない信号も、いつものように点灯していなければ何かある種の不安を感じてしまうのだろうか。
そういえば朝、電柱の地中化が進められるとニュースで見たが、いつか電柱が一本たりとも地上から無くなったらどう感じるのだろうかと思う。案外何も感じずそれがすぐ日常になってしまう可能性も高いが。