2025年6月22日日曜日

120km/h

 


弾丸で、福島にある諸橋近代美術館に行ってきた。
「ととのう展——ヘルスケアにつながる美術館」という企画展の、マインドフルネス関連のパネルを関西大学の小室先生が監修していると聞き、見に行くことにしたのだった。

車で行ってみたら高速使っても片道3時間半で、思ったよりも遠かった。
帰り道、栃木らへんで最高速度120km/hの区間があった。普段使う高速道路は最高速度100km/hなので、さらに20km速く走って良いわけである。三車線の真ん中を怖気付いて100km/h前後のまま走っていると後ろからくる車にどんどん追い越されるので、自分も120km/h出してみることにした。
感想は「意識した側から過去になっている」である。ああ、もうすぐカーブだから少し体を傾けるかと思った時にはもうカーブを通り過ぎているみたいな……。どうやってカーブを曲がり切ったのか、認識する前に通り過ぎて思い出せないのだ。動体視力が追いつかない。新幹線の運転手はこの倍以上のスピードで走るのだからとんでもないことだと思った。
120km/h出すのは少し頑張ってみて、すぐやめた。心臓が知らない痛みを訴えていた。
そして、今の自分が実感を持って走れるのは大体98km/hくらいだと理解した。下り坂で100km超えてはまた90km後半になるくらいが自分の身の丈に合っている。

120km/h区間が終わり、さらに少し行くと少し道が狭くなって、気づいたら80km/hで走っていた。流石に遅すぎるかと思って標識を見ると80と書いてあって、適当だったことがわかった。こういうことがよくある。なんとなく40km/hで走っていると実際40km制限の標識が立っていたり、ここは60km出せるなと思ったら標識に60と書いてあるのが見えたりといった具合だ。そういう時、国の道に対する見解と自分の実感が一致しているなと思う。

2025年6月21日土曜日

長葱のティラミス

 


奨学金採択祝いにケーキ屋さんに行った。
そこは野菜を使ったスイーツが売りのお店で、長葱のティラミスと蕪のレアチーズケーキを買って帰った。
黒豆茶を淹れて、ケーキを食べた。同居人が長葱のティラミスに対して「『おいしい』と言いたくなる味」と言っていた。一口もらってみると言いたいことがなんとなくわかり面白かった。

しずくちゃんである女の子のキャラクターが「ヘルシーなケーキを作ったよ!」と野菜でできたホールケーキを持ってくるシーンを思い出した。それはホイップの代わりにマヨネーズが使われていて、ケーキというよりほぼサラダやサンドイッチみたいな感じなんじゃと思った記憶がある。

今回食べたケーキを作ったパティシエは野菜のカッティングと火入れに多分とてもこだわっていて、口に入れた時の食感や味の感じ方が計算し尽くされている感じがした。野菜の甘みの引き出し方と相乗効果を生む素材の組み合わせの実験は自分でもちょっとやってみたいなと思った。パフェもそういう組み立てを試行錯誤できる媒体だと思う。

2025年6月18日水曜日

リンパ節

 


耳の後ろを触るとこぶができていて、押してみると痛い。
高校生の時に時々こういうことあったなと思って「耳裏 こぶ」と調べてみると、リンパ節が腫れてこぶ状になっている説が濃厚だった。いつも気づいたらなくなっていたのであんまり気にしていなかったのだが、10年越しに原因がわかってスッキリした。

2025年6月17日火曜日

ウエハースと小さな差


バイト先で、イタリア土産をみんなで食べることになった。
箱を開けると4種類のサイズのお菓子が3〜6個ずつ入っていて、中身はわからないままなんとなく気になるものを取っていった。
一番大きいのが3cm×6cmくらいの長方形で厚さ1cmほどのもの、次に大きいのが4cm角の正方形で厚みが1.5cmくらいあるもの、その次に大きい(二番目に小さい)のが1cm×4cmくらいの長方形で厚さが1cmないくらいのもの、一番小さいのが2cm角の長方形で厚さが1.5cmくらいあるものだった。それぞれ大きさと厚みが少しずつ異なっていて、私は二番目に大きい正方形のを取った。
包装を取ると出てきたのは、チョコレートとウエハースが交互に重ねられたお菓子だった。今日は梅雨が嘘のように暑い日だったからか、チョコレートは少し溶けていた。結構甘かったが、朝目を覚ますために買った缶コーヒーと合わせるとちょうど良かった。
自分の分を一口食べたところで他の人に中身がなんだったか尋ねると、みんな同じチョコレートウエハースだった。それぞれホワイトチョコとかクランチだとか、何かしら違いがあるもんだと思い込んでいたが違った。厚みと幅の違いをれっきとしたバリエーションとして取り扱っているのだ。

味が違うなら他のも食べてみたいと思っていたのだが、全部中身が同じだとわかってやめた。初めに取ったウエハースを食べながら、同居人はこういう些細な差を楽しむようにできているお菓子があると知ったら興味を持つだろうなと思った。
というもの去年、同居人がイタリアン料理屋でマルゲリータとマルゲリータにアンチョビが乗っているものの二種類を頼もうとしたのを阻止したことがあったのだ。
マルゲリータと何か別のピザを頼んだ後、「果物を二つ食べるとして、スイカとスイカに塩したやつより、せっかくならスイカとリンゴを食べたくない?」と聞いたら、「いやそれはスイカとスイカに塩したのを食べたいよ」と言われた。そこから、妹に寵愛を奪われる姉などにおける兄弟姉妹の微差の話になり、その頃オーディブルで聴いていた村上春樹の『国境の南、太陽の西』で彼女のいとこに手を出す主人公の話へ話はスライドしていった。せっかくなら全然違うものを、とならずに少しの差を感じ取ることを楽しむ人が本当にいるんだなと思ったのだった。

2025年6月16日月曜日

理科の先生から芋蔓式に思い出したこと



昨日の理科の先生の話から芋蔓式に色々思い出した。
小学校という場所は理不尽に怒られることが割とある。それはトラブルの原因側が被害者面をしたり、誰も説明が上手くないことから起こる悲劇なのだと思う。理科の先生は、結果的に誰が泣いたかではなく、わだかまりがどういう経緯で生まれたのかにちゃんと耳を傾けようとする稀有な先生だった。
大豆を発芽させる実験に数週間かけて取り組んだ時のこと。4人班で大豆の発芽をどういう条件の違いで実験するかを決めて、実際やってみるというような内容だった。
ある班がこの実験をするにあたって揉めに揉めた。一人の女子が水の代わりに紅茶を使ってみたいと主張したが、他の班員はあんまり乗り気じゃなかったとかだったと思う。最終的にその女子は紅茶の実験を強行した。他の班員は別で実験をやったのか折れて班としてその紅茶の実験をさせてあげることにしたのかはわからないが、なぜか数週間後にその紅茶強行女子が泣いて、3人の班員たちが理科の先生に呼び出される事態となった。
呼び出されたうちの一人がまあまあ仲良くしている人で、戻ってきたその子が「理科の先生は本当に良い先生だった」といたく感動しながら何があったのか話してくれた。その子は呼び出された時点で絶対怒られると思っていたが、なんでこんな風に揉めるに至ったか優しく尋ねられて、今後似たようなトラブルがあった時にどう対応することができるか一緒に考えたらしい。

小学校の先生の多くは涙を流した側を守って、涙を流させた側を怒っていた。
女子を泣かせてばかりで怒られていたある男子は、先生にとって問題児だったのだと思う。でも実際は女子が少し嫌なことをその男子に言って、男子が仕返しに手を出すか暴言を吐いて、結果的に言い出しっぺの女子が泣くというのがお決まりであった。まあ、その男子は嫌なことを言われた仕返しに髪を引っ張ることが多くて、それは良くないが罠にかけられた気持ちだろうなと思っていた。その男子はよく三人でつるんでいて、女子と揉めて仕返しすると一人は「やったれやったれと」口だけで加勢して、仕返しされた女子が泣くと最後の一人が「いつもごめんな」と代わりに謝るのもお決まりであった。最後の一人だけがモテていて、そりゃそうだと思っていた。

ある日、いらんことを言ったせいで髪を引っ張られて泣いている女子に、先述のモテている男子が慰めの言葉をかけに行くのを見た。彼は「髪って少ない量引っ張ると痛いけど束やとそこまで痛くないやろ。ポニーテール引っ張ったってことはあいつもそんな痛くしたかったわけちゃうやろからわかったって」というようなことを言っていた。
こっそり試すと確かに髪の毛を数本で引っ張ると痛いけれど、束で引っ張るとそこまで痛くない。なるほどと思いつつ、髪を引っ張る側の心理を解説してもそんなに慰めにはならないよと思った。

2025年6月15日日曜日

身長のことと理科の先生のこと



群馬まで展覧会の作品設営に来ている。
久々に側弯手術直後に手がけた作品を再展示して、術後2年を目前にして背骨の違和感がずいぶん薄らいできていることを実感した。設営作業を終え温泉に浸かっている時、「新身訓練」に書かなかった身長についての話を思い出したので書いてみる。

私は脊椎側弯症手術をして身長が4cmちょい伸びた。元々163cmくらいだったのが今は167cmちょいある。身長の話をすると、相手から「もっと身長あるよ」と言われることがままある。163cmの時は自称160cmある人に、167cmになってからは自称170cmある人に特に主張される。
自称160cmある人からすると私より3cm以上低い=身長160cmもないということになるからで、自称170cmある人からすると私とほぼ身長が同じ=身長170cmないことになるからだと思う。160cm /170cmというラインを大切にしている人は案外多いらしく、私の身長を聞いて焦る人を何人も見てきた。

意識を宿に戻す。寝る前、夜食サービスを受けに食堂に行った。
中華そばを食べながらテレビに目をやると、桑田佳祐が自分の音楽人生を回顧する番組が流れていた。桑田佳祐で思い出すのは、小学校の理科の先生のことである。
通っていた小学校では隔年でオーストラリアの姉妹校と交換留学のしあいっこをしていて、私は6年生の時に約2週間オーストラリアに行った。滞在期間約2週間のうち半分はホームステイをすることになっていて、ホームステイ先のマッチングのために事前に自分の簡単なプロフィール資料を英語で作って提出する必要があった。
そのプロフィール資料を提出し終えたある日。担任の先生が授業中に「理科の先生のプロフィール資料を覗き見したら、自分の写真を貼る欄に桑田佳祐の写真を貼っていた」という話をしだした。小学生だった私はサザンオールスターズのことをあんまり知らず、多分他のクラスメイトもピンときていなかったためか誰も笑うことなくその話は終わった。担任の先生は「もっとイケメンの写真に差し替えるならわかるけど〜」云々と言っていた。
後日テレビで桑田佳祐を見て、確かに理科の先生の方が背も高いしかっこいいのになんでそんなことをしたんだろうと時間差で疑問に思ったのだった。

その理科の先生は私たちが3年生になって理科の授業が始まるより前はとても怖い先生として有名だったらしい。何かがあってしばらくお休みを挟んだあと、とても優しい先生になったと噂で聞いた。背が高くて声が低い、渋い感じのおじさんの先生だった。写真を差し替えるなら桑田佳祐より吉川晃司の方がわかる感じの。でも人は自分にないものを持っている人に惹かれるものなのかもしれない。

2025年6月14日土曜日

ゾウキリン


群馬県に向かって車を運転していると、高速道路にかかる橋に「ここは新座市」という横断幕が掲げられていた。少し進むと、次の橋には「これはだ〜れだ?」と書かれた横に、茶色の斑がいくつかある黄色いゾウのゆるキャラのイラストが添えられている。キリン柄のゾウ?と思いながら通り過ぎると、さらに次の橋に「正解はゾウキリン」と書いてあった。そのまますぎる。

市のキャラクターということは「ゾウキリン」みたいな語感の名所や名物があるのかと気になり同乗者に由来を調べてもらったところ、「雑木林」にちなんで生まれたらしいことがわかった。雑木林をアイデンティティにするのってどうなんだと思いつつ、同乗者とは「ゾウ」と「キリン」の語順の話に話題がスライドしていった。
「キツネザル」とか「トラフグ」とか、ある動物を思わせる特徴を持つ動物は大抵本体の動物の名前が後に来るのではないか。つまり、このキリン柄のゾウはそういった一般的な名付けを参照すると「キリンゾウ」が妥当なのではというようなことだ。
そうすると雑木林からは離れてしまうので名前の側を固定にして考えてみる。ゾウのようなキリンとなると、灰色のキリンや鼻が長いキリンがまず思い浮かぶ。確かにキリン柄のゾウよりキャッチーさに欠けるかもしれないと思った。

夜ご飯は初めてしゃぶ葉に行った。こんなに野菜を食べさせてくれる外食チェーンってあんまりないので嬉しかった。ワッフルを焼いたり、プリンもどきを作ったり、こどもたちに混ざって楽しんだ。今回はやらなかったけどクレープも作れるらしい。

2025年6月13日金曜日

モレスキンノートの下敷き

 


バイトの後に一駅分歩いて渋谷のハンズに行き、モレスキンノートとコピックを買った。コピックは裏写りするので下敷きがいるなと思い、店員に手帳サイズの下敷きはあるか尋ねたら「ないです」と即答された。私が高級文具も取り扱う雑貨屋でバイトしてた時は、絶対ないものの在庫を聞かれたとしても「ない」と即答するのではなく、一旦バックヤードに行って3回くらい深呼吸してから「確認したところ取り扱いがないようです〜」と申し訳なさそうに戻るべしと教わっていたのでびっくりした。どこにかというと即答されたことにびっくりしたのである。

仕方ないので普通の下敷きコーナーを自分で見つけ出した。自分が小学生の時よりも下敷きの種類が豊富になっていた。絵柄ではなく、柔らかい下敷きの種類が豊富になっていた。硬いとペン先が滑って、筆圧をかけて書きにくいからなのだろう。
ピッタリじゃなくても、使えそうなのがあれば十分だったのだ。ノートに下敷きを重ねてみるとA4サイズの半分、即ちA5サイズがピッタリらしいことがわかった。A4サイズの下敷きを買って、家で半分に切ることにした。まあ店員がこの下敷きを家で半分に切ると良いですよとは勧められないかと思った。

家に帰り、家事がひと段落してぼーっとしていたら下敷きのことを思い出した。水性ペンでガイド線を引き、ハサミでゆっくり切った。角は刺さっても痛くないように丸く切り取り、結構うまく仕上げられたので満足した。

準備が整ったので「バスで爆睡、船でふて寝、遊覧船でyou earn rest」という、移動中の寝姿をモレスキンノートにコピックで描いていくシリーズを始めてみようと思う。
中高生の時の自分がやりたかったけれど金銭的・技術的な問題でうまくやれなかったことが、10年経つとすんなりやれるようになっていて、成長を感じる。生きているだけで絵が上手くなっていく。

2025年6月11日水曜日

広いな大きいな楽しいな

唐突にモレスキンのノートが欲しくなって、上野近郊で置いてそうな御徒町のスミスと上野のヨドバシに行ってみたけどなかった。ヨドバシに向かって歩いていると、「まあるい緑の山手線♪」とヨドバシカメラのテーマソングが頭の中に流れ出した。

上京して初めて秋葉原のヨドバシに行った時、「まあるい緑の山手線 真ん中通るは中央線 新宿西口駅前とアキバのヨドバシカメラ♪」と流れているのを聞いて衝撃だったのを覚えている。知っているメロディーに知らない歌詞がのっているのは、アニメの主題歌の二番を初めて聞いた時みたいな違和感があった。
私は地元が関西なので、梅田のヨドバシカメラのCMのイメージが強かったのだ。なるほどここの部分にこの言葉が当てはめられているのか…と、その場で歌詞を調べて東京バージョンの歌をメロディーと照らし合わせた。カラオケであんまり歌詞を覚えていない二番を、一番のリズムを参考に歌ってみるみたいな感じがした。

上京してもう8年が経ち、いつしかヨドバシカメラのテーマソングといえば東京バージョンのものにすり替わっていた。歩きながら、ふと梅田のはどういう歌詞だったっけ…と思い出そうとしたが全然思い出せず、記憶のとっかかりも全然見当たらなくてびっくりした。その場ですぐに調べて、冒頭の「広いな」を見てやっと思い出すことができた。なんだかんだ自分のベースは関西にあると思っていたけれど、こんなところで優位性の逆転が起こっているとは思いもしなかった。

2025年6月9日月曜日

いぶりごぼうとつけ麺

百均でいぶりごぼうというおやつを買って食べてみたらあんまり美味しくなかった。我が子が摘んできた雑草を無理やり食べられるようにしようと試行錯誤した末にできた味のする茎って感じだった。

晩御飯にはラーメン屋に行った。
看板に「ラーメン つけ麺」と書いてある店で、見かけるたびに狩野英孝が思い浮かぶなと思いつつ通り過ぎていて、行くのは初めてだった。大勝軒のつけ麺を出す店らしく、店の一番目立つところに大勝軒の大将の肖像が飾られていた。結構いろんなラーメン屋でこの大勝軒の大将が祀り上げられているが、ラーメン業界の文脈に明るくないのでまだピンときていない。ちゃんとこの人の凄さを知れば、写真を見るだけで感動的な気持ちになれるのかもしれないと思いながらおじさんの顔を見る。存命なのかもわからない。

味玉つけ麺を食べた。塩辛めのつけ汁に甘い味玉が嬉しかった。自分は味玉が好物なんだけど、冷たい味玉はあんまり好きじゃなくて、常温かちょっとあったかい味玉が好きらしいということに数年前に気づいた。それから、味玉を食べる時はスープにつけたり温かいご飯の上に乗せて少しだけ温めるようにしている。今日は冷や盛りの麺によってつけ汁が少しぬるまった段階で味玉をつけ汁の器に移して、常温くらいになったのを最後に食べた。
同行者が角盛というのを食べていて、ちょっともらったらそっちも美味しかった。生姜が効いているのが良かった。

2025年6月8日日曜日

浅草と現美

今日は浅草でのZINEの即売会に行ったあと、東京都現代美術館で岡﨑乾二郎の個展を見た。

はじめに乗った電車で向かい側のお爺さんの足元にタツノオトシゴみたいなのが落ちていて、よく見たらお菓子のパッケージだった。
浅草行きの電車に乗り換えたら、途中駅停車中に子犬の鳴き声とこどもの泣き声の間みたいな声が聞こえてきて、乗客が一斉に音のする方向を向いた。
終点の浅草では後方車両の扉が開かないらしく、みんなゾロゾロと先頭車両方向に移動していったので着いて行った。扉が開いている車両まで辿り着くと、車両の一番後方の扉を駅員さんが通せんぼしていた。扉の左右にある手すりを持って直立していて、磔にされたキリストみたいなポーズだなと思った。その駅員の足元を見ると電車とホームの間が30cm近く空いており、危ないからそうしているらしかった。

ZINEの即売会では、路上占い師が路上で考えていることについて書かれた本と、工芸史研究会の論考集みたいなのを買った。自分が今まで参加したことがある即売会よりも机の奥行きが大きくて、手に取りやすいよう段差をつけるなどディスプレイに凝っているブースが多かった。急いでいたので30分ちょいでざっと回って出た。

清澄白河駅で待ち合わせをして、岡﨑乾二郎展を見に行った。服の型紙から線を抽出してできた様々な形が切り取られ、角と角で留め合わせることで立体になっている作品から始まり、それを拡大したような大きな彫刻、絵本や漫画、タイルに様々な形が描かれたもの、大きな絵画作品、紙粘土を拡大したような立体作品、表面がどろどろした大きな象の立体と作品の展開が追えるような構成になっていた。大きな絵画作品はスライムのように透明感のある絵の具を白いキャンバスにべたっと配置していくように作られていて、ある特定の形を描こうとしているわけではなさそうだった。椅子があったので休憩がてら座ってその大きな絵画作品を眺めていると、同行者が急に「骸骨みたい」と言い出した。私はすぐに右から二番目の絵のピンク色の絵の具のかたまりの箇所のことだと分かり、「ああ、鷲鼻だね」と返した。

その後、コレクション展に移動した。展示作品の中に、大きな白いキャンバスの真ん中に丸く穴が空いているのがあった。同行者が「こういうの学生作ってそう」と少々失礼な感想を言うのを聞きながら通り過ぎようとしたら、監視員の女性に「これは握手する絵画です」と話しかけられた。オノヨーコの作品だった。せっかくだから体験するかということで、キャンバスの表面と裏面と交代で二回キャンバス越しに握手をした。なんか良いかも…となりながら作品を後にしようとすると、さっきの監視員が「良い絵ですよね」と言ってきた。鑑賞者にそう言いたくて、体験を促しているらしい。そんな向上心のある監視員がいるのかとちょっと感心した。コレクション展の作品の中に田中敦子によるベルの作品があり、会場には何分かごとに非常用ベルのような音が響いていた。会場に入る前はベルの音を聞いて「なんか盗みでもあったのか」と思っていたが作品だった。展示台の上にボタンがあり、「23秒以上押してください」みたいな指示が書いてある作品で、言う通りに押すと爆音で非常用ベルの音が鳴り響く。大体の人はびっくりして一瞬で手を離してしまうが、時々鳴り続けることがあり、肝が据わってるなと思った。

2025年6月2日月曜日

5

こないだのコミティアで、土っぽい質感のハート型のペンダントを買った。ハートの真ん中には数字が刻まれていて、私は元々9が欲しかったけれど9だけなくて6がふたつあった。どうしようかなと思ったが、自分の誕生日に含まれている数字ということで5を買うことにした。

家に持って帰って同居人に見せたが、5を選んだことに対してあまり良い反応をもらえなかった。そこで、5がいかに良いかを説得すべく理由を並べた。まず、誕生日に入っている数字のうち1か5だったら5だなと思ったということ。1を首から下げていると1番が好きというのはなんだか圧が強い印象があるということ。5は0から9の数字の中で最も直線と曲線の融合がなされているということといった具合だ。特に最後の5の造形についての言及は納得感があったらしく、他の数字とひとつひとつ比べながら、いかに5の完成度が高いかを二人で確認することになった。直線と曲線が混ざっている数字は他に2があるが、2は曲線に直線を申し訳程度に引っ付けたような感じが否めない。5は直角と曲線の両方を含むところが高ポイントとなった。

2025年2月16日日曜日

一目惚れ

今日は学部受験のために作ったポートフォリオを同居人に見せる時間があった。そしたら卒アルトークタイム(卒アルを見せながらエピソードトークをすること。我が家のリビングには卒アルが置いてあり、いつでもエピソードトークにまつわる資料を参照することができる)同様、芋蔓式に色々思い出せて楽しかった。

私は京都の美術予備校にメインで通いながら、夏と冬に短期で東京の予備校に通って受験対策をしていた。京都ではそもそも東京の美大を目指す人はほぼおらず、私の代は分校も合わせて東京の大学が第一志望なのは5人くらいだった。久々に予備校のHPを見たらその年の合格者が計300人くらいだったので、生徒は350人くらいいたのだと思う。約350人中5人、しかも5人の目指す学科はバラバラ、かつ京都の予備校の先生に東京の美大の受験ノウハウがあるわけでもなかったので、自分で東京の予備校の対策内容を偵察する必要があった。それで短期ながら東京の美術予備校で同学科を目指す人たちのクラスに入れてもらい、空いた時間に合格者の参作ポートフォリオやデッサンの再現を見せてもらって「こんな感じでやればいいんだ」という目処がついたところで京都に帰り、割と自力で対策を進めたのだった。

その時のことがわかるインタビューがこれ(長文メールで合格体験記を送ったら「合格者インタビュー」としてインタビュー形式に書き直されていてウケた。回答を元に逆算で質問を作っててすごい)

自力と言っちゃったけど、今ここに自分がいるのは高校の書道の先生に「奥野さんは東京だと思う」と言われたことと、初めて作った作品写真を彫刻出身の京都の予備校の先生に見せたらいたく感動して褒めて伸ばしまくってくれた上に何故か「今年は人間関係がくる!」と大山を当ててくれたりしたからでした。

その学部受験用ポートフォリオには志望動機と別に制作全体を総括するようなステートメント文を載せていた。志望動機は書き間違いとか言い間違いに気づくとはどういうことかという話から始まっていて、ステートメントは自分にとっての一目惚れの定義について書いてあった。どちらも言い過ぎてない文章で、今の自分でも良いなと思えるものだった。そして、志望動機もステートメントも高校の時にちまちま書いてたブログの文章を元に書いたものだったなと久々に前のブログの存在を思い出した。そのブログは、高校入学前に母から「高校の間に3人くらいとは付き合ったら良いと思う」と言われたことを律儀に守れた結果付き合った3人目の相手がインターネットに精通している人で、その人に教えてもらって始めたものだった。ブログの他にもTwitterは一旦ROMって雰囲気を掴んだほうがいいとか、YouTubeは自分にも投稿できるし閲覧可能範囲も設定可能だとか、Googleアカウントの活用法とか教えてもらった。今インターネットで息するように色々やれているのはこの頃からやって見せてもらっていたからだと思う。

時を現在に戻す。同居人は一目惚れについてのステートメント文を読んで、私のマイブーム到来現象に合点がいったらしい。私が最近せいろが気になるとずっと言っているのを聞かされて、なんで急にある特定のものに興味を持つのか不思議だったようだ。私は昔のポートフォリオの中で、一目惚れを「日常として見逃してきたものにある日ピントを合わせた時に惚れてしまうというか頭から離れなくなる」ことと定義していた。その挙動については今も兼ね同意なんだけど、「一目惚れ」という表現は自分以外の人にとってミスリードを誘うかもとも思った。昔の自分が言いたかったのは、実際のファーストコンタクトではなく、ずっと存在は認識していたはずなのにある日急にアンテナに引っかかること=初めて自発的にピントを合わせた=一目惚れ、ということだ。自発的にピントを合わせるにはまず存在を認知してないといけなくて、実際ハマるかどうかはTPOと自分のコンディションによる……自分でハマるタイミングを選ぶことはできないという点は今読んでる『恋愛の哲学』で紹介されていたキエルケゴールの刹那的な愛(美学的なもの)ってやつに近そうだから「一目惚れ」という表現はあながち間違ってないのかも。この刹那的な愛は偶然任せで自分でコントロールができない以上実は自由なものではないという絶望がある——ということらしいんだけど、これはまさに到来しては去り行く私のマイブームのことだなと思った。今までに去っていったマイブームはメモによると温泉卵作り、『西瓜糖の日々』読みながら寝落ち、味噌の代わりに塩麹溶かす塩麹汁、シンク磨き、切り干し大根などがある。今はメープルシロップ入りカフェオレにハマっていて、せいろが気になっているところ。

2025年2月14日金曜日

音楽

私にとって音楽は生活必需品じゃないっぽいということに薄々気づきつつある。意識的に音楽を聴くのは目の前の視覚情報に集中する必要がある時で、最近だと銅版画制作とか漫画ベタ塗り作業とか、つまり思考が挟まって手が止まると煩わしい時のようだった。「ようだった」と過去形なのは、個展が終わって一ヶ月くらい経った昨日、制作がひと段落して以降音楽を全く聞いていないことに気づいたからだ。それでちょうど隣を歩いていた同居人へ「最近音楽聞いてなかった」と話しかけたら「よかったね」と返されてちょっと面白かった。二人してあんま音楽を聞かないので、雑談で好きなアーティストを聞かれても歯切れの悪い返事しかできず変な空気になることが時々あった。こないだ久々に好きなアーティストを聞かれて変な空気をまた作ってしまった。この現状を打開したいと思ったのか、寝る前に同居人から「お互い好きなアーティストを決めてしまえば良いのでは」という解決策を提示された。「誰にするの」と聞いたら「安室奈美恵」とのことだった。私はまだ決めてないので今後もしばらく歯切れの悪い返事が続くと思う。