2026年10月10日土曜日

紫の詩集と三分の二度目の正直(失敗)

 

小学5年生の頃から持っている、ユニクロの紫色の七分丈のTシャツを着て、最近買った淡い紫色のボストンバッグに荷物を詰め替えて出かけた。3週間前に付け替えてもらったジェルネイルはピオーネ風で、全体的に紫色の雰囲気になった。

野良洞と一緒に、恵比寿にあるシュルレアリスムにまつわる作品を扱う書店併設のギャラリーに行った。野良洞はエンジ色と黒の細かいボーダーのトップスを着ていて、遠目からは濃い紫色に見えた。私は、辻征夫の『天使・蝶・白い雲などいくつかの瞑想』という詩集を買った。売られている本の大半はビニールがけされていて、立ち読みができない。辻征夫のことは何も知らなかった。最近蝶に関心があるからタイトル買いのつもりでその詩集を手に取ったのだけれど、カバンにしまう時に、淡い紫色に濃い紫色でタイトルが書かれた本だと気づいて、色買いだったのかもしれないと思った。

ドトールに入り、長谷川あかりがカルツォーネを褒めていたなと思って頼んでみたらおいしかった。それだけでは足りないのでケーキセットも頼んだ。前回ドトールでモンブランにロイヤルミルクティーを合わせたら甘ったるくて後悔したので、今回はアイスコーヒーを合わせてみた。けれど、苦味が目の裏でゴングを鳴らすタイプのもので、少し眩暈がした。暑くてもホットのアメリカーノが良いのかもしれない。次こそ良い組み合わせにできれば三度目の正直だし、うまくいかなかったら二度あることは三度ある。どっちに転んでもぴったりの諺があるのは心強い。

2026年10月9日金曜日

職務質問とキノコのための4曲

無性に眠くて、沢山お昼寝をした。夕方、家を出てみたら、家の前で白いTシャツの男が職務質問を受けていた。警察官は男女の二人組で、男性の警察官が白いTシャツの男の体全体をベタベタと触り、ポケットなどに危ないものが入っていないか確認していた。近くに車やバイクがあるわけでもなかったから、一時不停止で捕まったアンラッキーな男というわけでもなく、ただの怪しい歩行者のようだった。私の家の斜め前には土が少し盛られた丘があり、主に配達業者たちの立ちションスポットになっている。ちょうど立ちションしているところを巡回中の警察と鉢合わせて、職質されたのかなと思った。

油彩転写の仕込みをして、しめじを大量に入れたナポリタンを作って食べた。昼寝のしすぎで夜寝られなかったら困るなと思い、YouTubeでOtto Bensonのライブ映像でも見ようと検索したら、Otto Bensonがキノコ農場でキノコのために4曲を演奏した記録映像を見つけた。「やまぶしファーム」という名前だったので日本のキノコ農場なのかと思いきや、日系アメリカ人三人によるロサンゼルスの農場だった。キノコを飲食店に卸しているほか、売れ残ったキノコを乾燥させてサプリメントなども作っているらしい。

YouTubeの説明欄には、以下のような文言があった。

Mushrooms respond to their environment — humidity, airflow, light, vibration. While there’s still much we don’t know about how fungi perceive the world, growers have long noticed that subtle environmental changes can influence growth. This series explores the intersection of music, cultivation, and atmosphere.

キノコは湿度、空気の流れ、光、振動といった周囲の環境に反応する。菌類が世界をどのように知覚しているのかについてはまだわからないことも多いが、栽培者たちは昔から、わずかな環境の変化が成長に影響しうることに気づいてきた。このシリーズは、音楽と栽培、そしてその場の空気が交わるところを探っていく。(筆者訳)

樽に入ったお酒にクラシックを聴かせるというのは聞いたことがあるけれど、キノコに音楽を聴かせるこの試みは胎教的な感じがするなと思った。のびのび育ちそう。映像では、演者の三方をキノコが観客のように取り巻いていて、私も棚で育てられるキノコの気持ちになれた。他のmushroom musicもチルな雰囲気で、聴きながら、「チル」という言葉を初めて聞いたのは中学3年生の時だったなと思い出していた。

ある日の授業終わり、クラスメイトの一人が「チルしに行こー」と友達に声をかけているのを見たのだった。その人は中学で唯一私のことを苗字で呼び捨てにする人で、年度始めに一人ずつ教卓の前に立って自己紹介をした際、私の自己紹介の最中に「声ヤバ」と言ってきた人物でもある。その人に似た人は日本に沢山いて、新宿などの大きな駅に行くと見かけてびっくりすることがある。同い年なんだから今も学ランを着ているわけがないのに。

2026年10月8日木曜日

ナボコフの共感覚と不安なタクシー

 

荒川さんに、昨日の日記で触れた指点字の共感覚の話をしたら、『ナボコフ自伝』の中でナボコフが、アルファベットに色を感じる自身の共感覚について説明している部分を朗読してくれた。「つややかな黒檀」「象牙の背のついた手鏡」「泥色の靴紐」といったように、単なる色ではなく物質感を伴っているのが印象的だった。「r」と「ち」のことを思い出してみる。どちらもショッキングピンクのイメージだけれど、太いサテンのリボンや、向こうが透けて見えるセロファン、蛍光マーカーの線など、ショッキングピンク色のどんな物にも結びつきはしないなと思った。

夕方、流しのタクシーを拾ってみたら、運転手がかなり歳を重ねたおじいさんだった。丸まった背中は小さく、本来のガタイはわからない。目がとても悪く文字を識別するのが難しいようで、伝えた住所を音声入力していた。操作に戸惑っている様子だったので覗いてみると、早速「目黒区」を「練馬区」とミスられていて、教えてあげた。カーナビの画面の上にあるエアコンの吹き出し口には、羽根状の板に紐をかけて虫眼鏡が括り付けられていた。運転手はその虫眼鏡をカーナビの画面に近づけたり遠ざけたりして、音声入力した住所が合っているかじっくり確認していた。出発してからも、信号に引っかかるたびにその虫眼鏡でカーナビを拡大し、ルートを確認していた。そんな様子だったので終始不安は拭えなかったが、東京のタクシーにしては安全運転だった。

2026年10月7日水曜日

おいしい胃液と指点字の共感覚


駅前の交差点近くに大きめの植え込みスペースがあって、ラベンダー、ローズマリー、セージが植えられていた。実家の花壇と同じラインナップだなと思った。ミツバチが飛び交っていたのはセージだけで、セージもツツジみたいに、花の根元を吸うと甘いことを思い出した。ついでに、セージでハーブティーを淹れてみたら全くおいしさが分からなくてびっくりしたことも思い出した。あれは小学生の時のことだったから、今ならおいしく飲めると思う。花壇のセージはもうないけど。

植え込みの前には、テイクアウト専門の珈琲屋さんがある。夏にその店でエスプレッソトニックを頼んでみたら、おいしかったんだけど、味が胃液すぎると思った。おいしい胃液。さすがにこれは世界の誰かが同じことを言っているだろうと思い、Xで「エスプレッソトニック 胃液」と検索した。すぐに全く同じことを言っている人が見つかってホッとした。

花壇を見て、今日はやっていないその珈琲屋さんを見て、職場に行った。私が仕事で使う指点字には略字がある。よく使う言葉を少ないタップ数で伝えることで、通訳のラグを小さくできる。略字は便利ではあるが、前置符ごとに明確な共通項があるかというとそうでもないので、正直覚えにくい。

通訳者歴も5年を超えて、略字が共感覚的なイメージとともに記憶されていることに気がついた。例えば「環境」は、6の点(右手薬指)プラス「か」(左手人差し指+右手薬指)の2タップなんだけど、遠いところをぐるっと囲むイメージが紐づいている。「情報」は456の点(右手の人差し指、中指、薬指)プラス長音一字下げ(右手と左手の薬指)の2タップで、これは情報となるもの(縦)を横に流していくイメージと紐づいているなと思った。点字には、ひらがなとアルファベットと数字で同じ配置のものがある。例えば「ら」「5」「e」は同じ指の配置なんだけど、どれも緑色のイメージが先に立って思い出される。「r」と「ち」はショッキングピンクだったりと、こちらは指の配置と色が対応している。

通訳中は必死で、どんな思い出し方だろうとなりふり構っていられない。でも、ひと段落して振り返ると、さっきの思い出し方は変だったなと思うことがある。何と何を紐づけているのか、気づいたらメモするようにしようと思った。

2026年10月6日火曜日

つぶれチョコレート


昼に画材を買いに行ったあと、夜まで家にいた。21時頃、iPhoneから「今日は全く歩いていません」という旨の通知がきて、昨日もほぼ家から出ていないんだったなと思った。二日連続で歩かないのは体に悪い気がしたので、買い物を兼ねて外に出ることにした。

階段を下りるとき、下の階に住むおばあさんの部屋から「紅茶のおいしい喫茶店」という歌が聞こえてきた。90歳を超えるというおばあさんは一人暮らしだ。耳が遠いので音量を上げて観ているテレビは、四六時中音漏れしている。今では逆に、聞こえないほうが不安になる。一度、家の外からお経が聞こえてきてビビって外に出たら、お向かいさんの法事だとわかって安心したこともある。

スーパーには、横幅と縦幅が同じくらいある球体のようなおじさんがいた。無性にチョコレートが食べたい気がしてお菓子売り場に行ったら、知らないお菓子がいくつもあった。明治の「生のとき」というチョコレート菓子を買ってみた。仰々しく梱包された中には、ねっちりとしたミルクチョコレートが入っていた。ベイクが溶け合って一つになったような、カントリーマアムチョコまみれが鞄の中で潰れた時のような。おいしいことはおいしいんだけれど、パッケージに助けられ過ぎているお菓子だった。梅干しで言う「つぶれ梅」のような、「つぶれチョコレート」といった感じがした。鞄の中で潰れ、また固まったことで別の物体のようになったチョコレート菓子も、それはそれでおいしかったりするよなということを思い出させてくれるお菓子だった。ニッチな需要が満たされる。