2026年10月30日金曜日

思い出話と一人っ子

朝8時半に集合して、車で秋田に向かった。

車の中には、きちんと話すのは初めての人もいて、秋田に到着するまでの10時間ほどの大半を、いろんな話をして過ごした。中でも特に盛り上がったのが兄弟姉妹の話だった。車に乗っていた5人は全員兄弟姉妹がいて、そのうち3人が長女、しかも私ともう一人は三人姉妹の長女だった。大学の先生たちや助手さんたちの兄弟構成を知っている人が教えてくれて、そのたびに「なるほど〜」「意外〜」と言い合った。

三人兄弟・三人姉妹は、上から順番に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康にタイプが似ているんじゃないか、という話もした。少なくとも我が家は割と当てはまると思う。なんで自分が織田信長だと思うのか聞かれて、「ミーハーだから」と答えたら、他の長女組が「あ〜」とちょっと納得している雰囲気があった。次女は長女のことをよく見ていて、長女がつけた轍に沿って進んだり、それをさらに改善したりする。人の懐に入り込むのがうまかったり、人から懐かれたりもする。それがなんとなく秀吉っぽい。三番目の家康は、上の二人が積み上げてきたものを、ちゃっかり自分のものにしてしまう感じ。みんながそうかはわからないけど、なんとなくそういうイメージが私の中にはある。

そのあと、一人っ子ってどんな感じなのか想像できないよね、という話になった。そこで私は、一人っ子には幼少期の思い出をあまり覚えていない人が多い気がする、という話をした。兄弟姉妹がいる人は、家に帰って今日あったことを話したり、思い出話をしたりする時間がたくさんある。でも一人っ子はそういう時間が少ないからなんじゃないか。そう言ったら、みんなに「なるほど〜」と言ってもらえた。今日の5人が、全員兄弟姉妹と割とよく話すタイプだったのもあるのかもしれない。

大人になってから思い出話をできる人は、とても限られている。小中高の同級生と久々に話すたびにそう思う。自分にとって印象的だったことをみんなが全然覚えていなくてびっくりしたり、逆に、自分は全く覚えていない自分のことを同級生が覚えていたりする。そうやって話し直すたびに、思い浮かべる情景は少しずつ上書きされていく。

三英傑の鼻の絵

初めてのぼだっこ

芹のサラダといぶりがっこクリームチーズ


2026年10月29日木曜日

遅延と防寒

 


帰りの電車が30分くらい遅れていたらしい。

始発駅から乗った電車はずっと人が少なくて、私は端っこの壁寄りというベストポジションを確保できていた。OTTOの『Clam Day』というアルバムを聴きながらうとうとして、気づいたら眠っていた。途中で何度か目が覚めたんだけど、そのたびに電車が全然進んでいなかったので、案外寝ていた時間は短かったのかなと思いながら、もう一度眠っていた。最寄駅に着いてから時間を確認すると、到着するだろうと踏んでいた時間より30分くらい遅かった。そこで初めて、電車が大幅に遅延していたことに気がついた。寝ていた時間はちゃんと長かったらしい。今日は一日ずっとなんとなくぼんやりしていたけれど、それでやっとシャキッとした。

家に着いてすぐ、明日から始まる秋田合宿のパッキングを始めた。

秋田の文化施設で、ぬいぐるみを作るワークショップをやりに行くのだ。私を含めた何人かが「ぬいらー」として、ぬいぐるみ作りのファシリテーターをすることになっている。修士まで所属していたゼミには合宿がなかったので、大学生活9年目にして初めてのゼミ合宿だ。

秋田はもうとんでもなく寒いらしい。
iPhoneの天気を確認すると、気温は8度なのに体感温度は4度と出ていた。風が強いらしい。ダウンジャケットにダウンパンツ、路上でロシア人が売っていたクマの毛皮の耳当て付き帽子。自分にできる最大限の防寒装備で行くことにした。メガネの曇り止めも欠かせない。

あとは、寒暖差で鼻水が止まらなくなったとき用の小青竜湯、鼻水で喉がやられたとき用のペラックT錠、八重歯で思いっきり唇の裏を噛んでしまったとき用のトラフル、長距離の車移動で背中が痛んだとき用のカロナール。忘れ物をしたときに、近所にどれくらいコンビニがあって、どのくらい気軽に行けるのかもわからないので、念入りに準備した。

明日の車移動は10時間かかるらしい。
秋田って京都に行くより遠いんだ! とびっくりした。

2026年10月28日水曜日

ノイズのない豚ヒレ肉と「思索.zip」としてのドアハンドル


いきなり寒くなった。朝起きてすぐ、昨日の残りの豚ヒレ肉の赤ワイン煮を温めて食べた。豚ヒレ肉は、筋や脂身といったノイズがなさすぎる。小さい頃の私は、脂身をはじめとするいろんな噛み心地が予測できない形で訪れるのがストレスで、肉があまり得意じゃなかった。なのでノイズが比較的少ない、ヒレ、ハラミ、タン、ささみ、ひき肉を好んで食べていた。ヒレは普段トンカツでしか食べていなかったけれど、煮込みにするとノイズの少なさがさらに際立つなと思った。ただ煮込みすぎると固くなってしまうので、在宅ワークや制作の合間にコトコト煮込み続けるような料理には向いていない。そこはちょっと残念ポイントではある。

図書館に予約していた本の取り置き期限が迫っていたので、取りに行った。先週3冊借りてきたんだけど、その数日後に、さらに1冊準備ができたと留守電が入っていた。3冊で全部だと思っていたので、何を予約したのか全く思い出せず、取りに行くモチベーションもあまり上がらないままだったのだ。今日やっと重い腰を上げて、車で少し遠い図書館まで取りに行った。取り置きされていたのは、ユハニ・パッラスマーの『建築と触覚ーー空間と五感をめぐる哲学』。心当たりは全くなかった。

貸出の手続きが終わって目次をパラパラ見てみても、依然として心当たりはない。でも新鮮に面白そうだなとは思ったので、昔気になって図書館のウェブサイトでカートに入れていたものを、今回一緒に予約申請したのかもしれない。

ユハニ・パッラスマーは、フィンランドを代表する建築家らしい。かなり読みやすい本で、数十分で1/3ほど読めた。パッラスマーは本の中で、五感のうち視覚に過度に依存している現代の視覚中心主義を批判し、目も耳もすべての感覚器官は元々皮膚であり、触覚から派生した感覚なのだと説いている。

先に読んだ解説によると、パッラスマーはドアハンドルのデザインに力を入れていたらしい。解説の冒頭には「本書『建築と触覚』は、まるで建物の『握手』を差し出すドアハンドルのように、フィンランドの建築家で教育者、批評家であるユハニ・パッラスマーの手を握る機会を差し出す」とあった。たしかに、建物から突き出すドアハンドルは、握手のために差し出された手のように感じられる。そしてこの本もまた、ドアハンドルと同じように、パッラスマーが差し出した握手の手のようなものらしい。

記憶を辿る限り、私は考え抜かれたドアハンドルを握ったことがない気がする。観賞用に公開されている建物は、大体すべての扉が開けられたまま固定されているからだ。開け閉めすると劣化も早まるし、仕方のないことなのだとは思う。だけどこれまで、貴重な建物とのインタラクションの機会が奪われていたことに、私は気づいていなかった。

私はあらゆる作品を「思索.zip」として受け取っている。何を見せて何を見せないのか、どこに力点を置いているのか。作者が力を入れた部分はもちろん、逆にこだわっていない部分もひとつの情報になる。だからこそ、解説にいくつも掲載されていたドアハンドルのスケッチを見て、こんなにこだわりを重ねた末に出来上がったドアハンドルはどんなものなのか、とても気になった。人間との握手と同じくらい、一瞬でさまざまな情報が伝わってくるのか。あるいは、全くノイズのない豚ヒレ肉のような洗練なのか。

2026年10月27日火曜日

親孝行の富士急と藝大先端博士進捗報告会


去年の今日、私は母と初めて富士急ハイランドに行っていた。

早朝からストイックに絶叫マシンの列に並び続け、5つ乗ることができた。
以下は当時のレポ。

FUJIYAMA
名物の王道ジェットコースター。ジェットコースターにありがちな「あれ、もう終わっちゃった」にならない大満足の長さ。横揺れゾーン有り。横揺れってレールにガタが来てんのかと思ってたけど意図的であることが判明。朝イチ並んだ時は15分くらいで乗れたけど、最後もう一回って思ったら80分待ちになってたので2回目は諦めた。なんだかんだ王道が一番楽しい。

ZOKKON
グネグネコースをバイクで疾走するようなジェットコースター。前傾姿勢でハンドルを持つ。急加速がすごくて、高低差無くてもフワッてなる感覚って来るんだ!という発見アリ。ちょっと舐めてたけど思ったより楽しかった。このコースター考える会議絶対楽しかっただろうなってくらい要素多い。セカオワ楽曲爆音再生、バック走行タイム、映像タイム(レール切り替えタイム)など。

ええじゃないか
座席があらゆる方向に回転しながら急降下や一回転していくジェットコースター。ユニバのフライングダイナソーは頭がガンガン安全バーとかにぶつかりまくるけど、これはマッサージチェアくらい包まれた状態でくるくる回るから頭が痛くないo(^▽^)o  回りながら急降下してみて、私はブルーインパルス操縦できないなと思いました。上下左右を見失う体験。

鉄骨番長
ひらパーの回るブランコが好きなので、それの上位互換だと思って乗ったらとんでもなかった。まず、装備が軽すぎる。シートベルトした後に上から足の間にT字の金属パイプをはめるんだけど、足とおなか周りがスカスカすぎる。トイレのベビーチェアの方が身体を固定している。そのまま50mくらい上がるのに。そしてものすごく高いところで振り回されるとめちゃくちゃ寒いということがわかった。お昼で結構ポカポカだったのに耳が凍えた。回転速度を上げながら上下するとフワッとするんだなということもわかった。眼鏡OKだったけど絶対外した方が良い。

パニック・ロック
14時で営業終了らしく、運良く駆け込めた。振り子の揺れがどんどん大きくなって、最終的にぐるぐる回るアトラクション。よくあるけどやっぱなんだかんだ楽しい。ええじゃないかより固定感がイマイチだから、ひっくり返る時に自分で踏ん張る必要アリ。

帰りのバスの時間の都合で高飛車には乗れなかった。

2025/10/27のメモより

絶叫マシンには年齢制限があることをこのとき初めて知った。高飛車とええじゃないかは54歳まで、他のジェットコースターは確か64歳まで。絶叫好きの母は「ギリギリ間に合って良かった」としきりに言っていた。

・・・

最近のマイブームは、早く帰れた日、陽が沈みきる前にお風呂に入ること。 お風呂から上がった頃には外が随分暗くなっていて、そこからを夜の時間として過ごすと夜がとっても長く感じる。

今日は朝から運動不足解消がてら芸術祭の搬出手伝いに行ってきた。15時半くらいに作業が終わったのでまっすぐ家に帰ってお風呂に入る。PCで30秒の3DCGアニメーション50本を書き出させている間、スマホでObject theater の映像を色々流し見しながら編み物をしたり、豚ヒレ肉の赤ワイン煮込みを作ったりした。

今日一日のあらゆるタイミングで、昨日の博士進捗報告会(* 1)は良い会だったなと何度も思い返していた。表現ジャンルは違うんだけど似ている悩みを抱えているもの同士だから話せることがたくさん詰まった時間だった。ちなみに報告の結果、私の今月のアクション・アイテムは「メガネの蝶番について考えてみる」に決まった。ここ半年くらい蝶番のことをたくさん考えてきたつもりだったけど、毎日かけているメガネにも蝶番的なパーツがあることはなんでか見落としていた。どう考えるかから考え始めてみる。


*1 藝大先端博士進捗報告会とは、浜田誠太郎さん原案の「進捗報告会」を藝大先端ナイズドしたもの。次回(だいたい翌月)までにやってみる「アクション・アイテム(AI)」を決めるのが特徴。アクション・アイテムは決してアドバイスではないというのが難しさでもあり面白さだなと思っています!

「進捗報告会」について言及されている記事がありました↓

https://note.com/waseda_dramakan/n/n43754d032f11

私の7月のアクション・アイテム「自分がどう見えているのか、考えているところをYouTubeで喋ってみる」の実践の様子がこちら↓


2026年11月21日(土)ー22日(日)の取手藝祭にて、「先端博士進捗報告会の報告会(仮)」というパネル展示+お話会的な場を開く予定です。
東京藝術大学取手校地メディア棟5階博士部屋にて。タイムスケジュールは後日告知します。

2026年10月26日月曜日

八重歯とさみしさ


今日は歯列矯正の初回カウンセリングに行ってきた。荒川さんの紹介と伝えると初診料が1000円引きになった。レントゲンなどは撮らず、歯を見せて、大体こういう矯正のスケジュールになるだろうという所見を聞く。それを踏まえて、本格的な型取りやレントゲンなどの検査に進むかどうかを決めるためのカウンセリングだった。

問診票では家族の歯並びのことなどいろいろ聞かれて、個人情報を結構明け渡した。両親は歯並びが割と良くて、私と次女はちょっとだけ前歯が大きめで歯並びが崩れている。一番下は歯が小さくて歯並びがいい。側弯症の手術をしたことなども伝えた。

歯医者は私の八重歯を指で撫で、「典型的な八重歯ちゃんでちゅね〜」と言った。

私の今の口の状態は、4人掛けのベンチに6人が押しくらまんじゅうして座ろうとしているイメージだそう。つまり顎のサイズに対して歯が収まりきっていない。だから本当に矯正するなら上下合わせて4本は抜く必要があって、それは親知らずを含めない本数なので、親知らずも入れたら8本抜く必要があるそうだ。

本当に矯正するとなると、月に1回は通院が必要で、それを3年〜3年半。ワイヤーが取れた後もリテーナーをつけて、そこから1年ぐらいは月1回来てほしい、その後は半年に1回くらいで大丈夫になっていく、とのこと。つまり4年くらいは月1回この歯医者さんに通える状態でいないといけない。矯正前に抜歯などのスケジュールもあるわけだから、就職先や住む場所など、今後5年くらいの生き方が決まってくる話だなと思った。まあ、それぐらいをいろんなことの準備期間として捉えてみてもいいのかもしれない。

診察の後は、駅ビルの本屋さんに寄った。もともと気になっている本があったんだけど、この間のPHPの脆弱性の問題が原因なのか、本の検索サービスが使えなくなっていた。店員さんに聞くほどでもないので、ふらふら探しついでにいろんな本を眺めていたら、ひとつ気になる本を見つけた。難波優輝『存在のさみしさについて』。帯には、「さみしいと感じるものから、よく考えるとさみしいものまで、その感性をたどる」と書かれていた。

カフェに入って半分ぐらい一気に読んだ。第1章ではヘミングウェイの「清潔で、とても明るい場所」が紹介されていて、数年前に自分も興味を持って読んだのを思い出した。確か、深夜のカフェに耳の聞こえないおじいさんが来て、新人のウェイターと先輩ウェイターが老人を見ながら色々話すような小説だったと思う。難波さんによると、清潔で明るい場所は「触覚的なつるつるさ、光学的なシャープさ、そして、食べ物との関係性の特殊さによって、独特のさみしさを生み出している」。そしてそれは自宅ではうまく実現し続けられないから、私たちは外に清潔で明るい場所を求めるのだという。

散歩コースにそんな場所はないか思い出してみる。暗い夜道にぽつんと光っているコンビニのイメージは、「清潔で、とても明るい場所」という言葉にかなり近い気がする。でも最近のコンビニはレジ前に置いてあるおでんや揚げた鶏、ドーナツ、コーヒーなどの匂いがする。遠くから眺めていた夜のコンビニの映像にぐっと寄って、そういった食べ物の匂いが入り込んできた瞬間、「清潔で、とても明るい場所」というイメージからはちょっと外れてしまう。むしろドラッグストアみたいな、棚にいろんなものが整然と並んでいて、天井にたくさんの蛍光灯がついていて、白く満遍なく明るい部屋。それが一番近いかもしれない。でもこの私にとっての「清潔で、とても明るい場所」は、さみしさを伴うイメージとはまた違う気がする。

私はさみしさに鈍感で、楽しい状態がずっと続いても平気なタイプだ。そういえば荒川さんは、楽しすぎることがずっと続くのは結構大変で、ちょっと切ないくらいが良いと言う。6年前にそれを聞いたときは、「そんな人がいるのかよ」と本当にびっくりした。でも今日この本を手に取って、さみしさに身を浸すことが好きな人がこの世にはたくさんいるのかもしれないとわかり、やっぱりさみしさについては知識としてでも知った方がいいなと思ったのだった。