私は幼少期より親や祖父から「智萌(ちゃん)は骨太だ」と言われてきた。
それが原因だと思われる不都合は今まで特になかったので、骨太の定義を確認することもなく自分は骨太なんだなあと鵜呑みにして生きている。
そんな中、先月くらいから週に二回整骨院に通うようになって、自分のからだについて教えてもらえるようになった。側弯による腰痛とあばらの痛みの改善がメインなのだが、他の部位の状態についてやトレーニングなど、聞けばいろいろなことを教えてくれる。
先日、私は足首について尋ねた。
私の脚はふくらみとくびれがかなり少ない円柱に近い状態で、それは親や祖父からすれば「骨太だから」とのことだが本当か?というのと、足首がもう少し細くなれば見た目のバランスがよくなりそうなんだが別にむくんでいるわけではないので、YouTubeにたくさんあがっているような足首マッサージが効かないなと思っていたからだった。
整骨院の先生は私の足首を一周ぐるっと指で軽く押しながら触った後、
「普通、膝下から足にかけて伸びている二本の骨を足首あたりにあるバンドのような筋肉で束ねているんだけど、なんかのタイミングでやっちゃってそのバンドが切れてるね」
と言った。
私はスーパーで売られている小松菜の、小松菜を束ねるテープを切った瞬間を思い浮かべた。
「そのバンドは再生しないんですか」
「時すでに遅しだね。足捻ったらすぐにサポーターとかで固定するのが大事なんだよ」
小学校低学年の頃に無理してヒールを履いて足を捻ることはよくあったので、どれが直接的な原因だったかは今更確認しようがないけれど一度も腫れるような大事にはならなかったので、徐々にダメージを受けて、知らず知らずのうちに切れたということだろう。
つまりどうしようもないということだ。
それがわかっただけで良かったと思う。
「“気になる”ことで無駄なエネルギーを消費するくらいなら、うなじにあるそのイボとホクロの間のものは手術で取ってもいいんじゃない」とこの前の帰省時父に言われたことを思い出した。
つい気になって触ってしまうんだということを話した時の返答で、これはそれくらい思い切って良いことなのかと思って印象的だった。
“気になる”ということは良くも悪くも意識のリソースを割くことなのだ。
とはいえ、つい後回しにしてしまいがちなのも事実だ。
「取り除いたほうが良い“気になること”をひとつひとつ取り除くことは、時間も労力も厭わなくて良い」と石にでも刻むかと思った。