2021年7月9日金曜日

私は20歳の時に次女と一緒に静岡県の合宿免許へ行って自動車免許を取っている
しかし自家用車のある実家に住む次女と違い、私は上京先で運転する機会の極端に少ない暮らしをしていたのであっという間にペーパードライバーに成り果てていた。
そもそも次女の方が運転がうまめなことが合宿免許中に発覚したので素質と機会に恵まれて上達していっているのだろうけど、今回合宿免許には同行しなかった三女を含めた三姉妹でマリオカートをした時には大体1位が三女で、11位と12位(最下位)を次女と私で争うことが多かった思い出があったから、実世界で運転がうまいことは正直想定外だった。

しかし興味深い事実が発覚した。
私と三女は次女が運転する車に乗る夢を、次女は自分が車を運転する夢を見ることがあったのだ。次女は運転ができるという設定を三姉妹の夢の中で共有していたということだ。
(私のは厳密にいうと自分で運転しようとしたらうまくできなかったので次女に交代して運転してもらう夢だった。“次女は運転ができる”という設定が際立つ内容となっていた)


話を合宿免許に戻すと、
仮免を取るための試験というのは合格できそうなレベルに達してからしか挑戦させてもらえなくて、その判断を「みきわめ」と言うらしい。私はそのみきわめをもらうまでに少し時間がかかって、その間に次女は順調に公道での教習を進めていた。しかし運悪く次女は卒検に落ちてしまったため同じタイミングで卒検を受けられることになった。卒検では奇跡的に同じ車に乗るペアになり(多分名簿順だからペアになる確率はかなり高かった)、お互いの運転する車に初めて乗る機会となった。
次女の運転は絵に描いたような安全運転だった。
スキーでもボーゲンでびっくりするくらいゆっくり下っていく人なので人柄が出るなと思った。

卒検は無事二人とも合格したので安堵したのだけど、私はバックで駐車場に車を停める“いわゆる駐車”を合宿中に一回しかやる機会を与えてもらえなかったことに気がついた。しかもその一回もほぼ助手席にいる教官の言いなりで行ったチュートリアルみたいな駐車だった。車は走り出したらいずれどこかに駐車しないといけないのになんてこったと思った。

今は割と自由に運転できる軽自動車があるのだけれど、この駐車問題によってその自由は制限されている。発進してだだっ広いところに駐車することはできるのだけれど、帰ることができないのだ。なぜかというと自宅前の駐車場が狭いだけでなく、一番接触事故を起こしそうな斜め前の位置に停まっているのが見るからに大切にされている高級車だからであった。土日には欠かさず優しく磨かれているし、駐車中は雪国のようにワイパーは必ず上げた状態にされている。
なので助手席に誰か乗ってもらわないと恐ろしくて駐車できなくて、一人で車でどこかにいくことが憚られていたのだ。いや行くことはそこまで憚られることではないのだけど、行ったら帰れないので…。

そんな中最近自宅から大学まで車で通学する訓練を始めた。それは15分くらいの道のりで、大学は駐車場が広いのと車がそんなに多くない時間帯がわかっているので結構お手の物になってきた。帰りは同じタイミングで帰る人に助手席に乗ってもらうことで難を凌いでいた。

しかし今日ついにどうしても一人で駐車しないといけない瞬間が訪れた。

少し前に書いた「どうにか克服したい対象に対峙する素直な状態の身体をコピペして圧縮して消滅させる戦法」を応用して、自分なんだけれどもう一つレイヤーが上の自分みたいな状態で挑んだら切り返しも一回でうまく駐車できた。
「一回できた!」という成功体験は強烈なもので、自分の活動範囲が一気にグンと広がるような感じがした。(この全能感はその後一回でも擦ったり凹ませたりしたらあっという間に崩れそうになる脆いものということははなからわかっている。しかし「できる気がする」と1ミリでも思えるかどうかの差はとてつもなく大きいのだ)

車ライフ始まりの予感です