2023年1月30日月曜日

びっくりドンキー

11時に起きた。
完全に目を覚ますためにスマホを手に取りInstagramを開くと、たぬぽたの新しい投稿が目に入った。たぬぽたとは母がたぬとぽたという実家の猫2匹について投稿しているアカウントで、ちなみにたぬは足の短いマンチカン、ぽたはなんとも言えない顔をしているエキゾチックショートヘアだ。新しい投稿は、たぬとぽたがお布団にくるまって身を寄せ合っている様子だった。その様子を見て、前回帰省した時に編み出した「たぬヘッド」という必殺技とその柔らかい感触を思い出した。たぬヘッドとは、猫タワー上階の布製バスケットに収まっているたぬを私の頭頂部で真下から押し上げるという行為のことで、猫は液体のようだと形容するのも納得の柔らかさなのである。

今日のミッションはただひとつ、復学届けを出すことだ。
レクチャーの文字起こしの編集作業もあるので、茨城のキャンパスで提出することにした。
大学では気軽に食物を手に入れることができないので、パン屋で今日もカヌレを買った。このことをメモしたときに、私はカヌレではなくカルネと書いていた。カルネとは、京都にある志津屋というパン屋の名物で、丸く少し硬いパンにハムとスライスオニオンが挟んであるシンプルな惣菜パンである。ちなみに私はノーマルカルネよりもペッパーカルネの方が好きだ。ハムとオニオンに加えて胡椒入りマヨネーズのソースが挟まっているのでいっぱい味がして美味しい。父はデニッシュペッパーカルネが好きと言っていたが、デニッシュカルネは私が上京してから登場したのであまり馴染みがない。妹が志津屋でのバイトでもらってきた廃棄のデニッシュカルネを一度食べたことがあるが、トーストできないのであればノーマルパンのが私は好きかもしれない。しかしトーストできる環境であれば話は変わってくる。

大学へは車で向かった。
天気も良く車内はぬくぬくで、窓を閉め切っていたので酸素が少し薄くなっていたのか眠たくなってしまった。助手席でほぼ仰向けになった私は、空気が薄まって動きが鈍くなった脳で、酸素スプレーへ憧れを抱いていたことを思い出していた。進研ゼミ中学講座の毎月届く雑誌に「テスト期間乗り切り法」みたいな特集があって、先輩が使ってよかったもの達の中に酸素スプレーがあったのだ。氷砂糖状のブドウ糖も一緒に紹介されていて、それは高校生までテスト期間の勉強中によく舐めていたが、酸素スプレーはとうとう母にねだれず憧れのまま終わったのだった。それは、長距離走の後頭痛がしたことを父に話したら、逆に酸素の取り込みすぎだからタオル越しに呼吸したほうが良いと言われたこともあって、きっと存在する酸素の適正量の目星の付け方に自信がなかったからかもしれない。この身体の状態は酸素が足りているのか多すぎるのか、今もあんまりわからない。

無事復学届けを出し、表記揺れを統一することを中心に編集作業をした。
夜まで作業は続いたのでびっくりドンキーによって晩御飯を食べることにした。注文するのはいつも一緒でチーズバーグディッシュとフライドポテト。私はびっくりドンキーがかなり好きだ。小さい頃、実家の近所にビッグボーイというハンバーグメインのファミレスがあったせいで、少し離れたところにあるびっくりドンキーにわざわざ行くことは珍しいことだった。電車で遠出ができるようになってからは三条のびっくりドンキーに自分で行くようになったが、お小遣いに限りがあるので行ける回数もたかが知れていた。びっくりドンキーのどこに執心しているのかというと、味はもちろんなのだが、1番はあの木の皿の中をきれいに食べることの楽しさである。びっくりドンキーのディッシュハンバーグはハンバーグとご飯とサラダの3要素からなる。私はまずサラダを全て食べ、サラダのあった場所にご飯をスライドさせる。ご飯にドレッシングが少ししみた状態になったらハンバーグを食べすすめ、ハンバーグを追うようにどんどんご飯をスライドさせていく。そうすると、食べ進めるたびに野菜くずやオニオンソースのかけらといった細かいものがご飯に吸収されていくので、最後の一口ご飯を食べた時点でお皿に塵一つ残っていないのである。その瞬間のことが私はとても好きなのだ。

やることをやり、びっくりドンキーにも行けて非常に満足な日だった。

2023年1月25日水曜日

胃カメラ

10年に1度の寒波とかで水道管凍結を恐れていたけれど、大丈夫だった。外を見ると風が強かったので切干大根は外に出さず、カーテンの中に入れて陽が直接当たるようにした。

今日は灯油ストーブで上手にパンを焼けた。
なぜさっきウケたことを真似したり、バズったツイートにあやかろうとすると本当に面白くないのか、おむすびころりんや花咲か爺さんが既に教えてくれていることを話しながら食べた。経験をトレースすれば同じ結果を得られるという大間違いをこれらの物語は教えてくれている。

ミルクティーを淹れて、データをUSBに移して、『失われた時を求めて』を持って家を出た。でも読んでいる間に全然違うことをたくさん考えて、話が混ざり合いまくった。

大学で大判印刷をした。その後、共済金請求のために生協行ったけどついさっき保険担当のものがあがったらしく、不発に終わった。

帰り道に牛乳を買いに行ったら、なんでかMr.マリックと胃カメラのことを思い出した。
昔、Mr.マリックがテレビである芸能人のお腹にハンドパワーでトランプを転移させるマジックを披露して、その場で胃カメラを入れて本当にお腹の中にトランプがある様子をみんなに確認させるという場面があった。お腹にトランプを入れられた芸能人が「このトランプはどうやって取り出すんですか?」と聞くと、Mr.マリックは「取り出せません」と言った。消化されて排泄されるから大丈夫ということなのだろうが、いきなり胃の中にそのままの形のトランプを入れられるなんて散々だなと思ったという思い出だ。
そして胃カメラといえば野口里佳が胃カメラで写真作品を撮っていたこと。さらに胃カメラといえば、鼻からでも口からでも屈辱的だとお父さんが言ってたことも思い出した。
  • 小学生くらいの時、お母さんはピロリ菌の洗浄に行ってたことも思い出した。胃の中を洗い流すって具体的にどういうことをしていたのかあまりイメージができないままだった。

牛乳と一緒にフィナンシェサンドも買った。
ロッテのカスタードケーキの上位互換て感じだった。

昨日買ったパントリークリームのよくある質問のページを読んだ。

  • Q. パントリークリームは何故ホイップできないのですか?
  • A. パントリークリームは、ホイップ用のクリーム(乳脂肪分35%以上)と違って、脂肪分が30%と少ないため、脂肪量が少なく、ホイップしても絞れる固さにはなりません。コーヒー、紅茶、料理にそのままお使いください。

  • Q. 「パントリークリーム」の“パントリー”はどういう意味ですか?
  • A. 一般的には、食料貯蔵室,配膳室,食器室などの意味がありますが、ホテルの厨房(喫茶部門)のことをパントリーと呼びます。コーヒー、料理用としてホテルで高い評価を受けていたこのクリームを市販するにあたって、ご家庭でも愛用していただきたいという願いを込めてパントリークリームと名付けました。

  • よくある質問なのか……?
ミルクティーにして合わせた。

実家に帰省した時に三女の通う塾から電話が来たことを思い出した。
女性の声だった。妹の冬季講習についてペラペラ確認事項を話してくるから「知りません」と返したら、「知らないって……」と呆れた感じに言われて腹が立ったけれど、電話相手が母ではなく姉だと気づいて取り乱す様をじっと聞いていた。あの時の思い込みによる杜撰な対応を思い出しては腹が立つけれど、ここまで詳細に一回思い出せば当分思い出さなくて済むと思う。

その後は明日の銅版画の図案を考えていた。
ウサギの正面図か私の目がウサギに温められている絵か。

2023年1月24日火曜日

炭化・図書館・芋羊羹など

1日の間に逐一メモしたものに付け足していく形で日記を記述してみる
  • 朝、初めて灯油ストーブで山型パンを焼こうとしたら、焼きすぎて炭化したパンになった 灯油ストーブの上面でスープを温めることはよくあった。ストーブでパンも焼けると聞いて、目玉焼きを5分タイマーかけて焼くのと同時並行でストーブ上にパンを置いといてみたら、トーストというよりも炭を先に思い浮かべた方が早いくらい黒焦げになってしまった。ストーブトーストは1分半くらいでタイマーをかけた方が良さそうだと学んだ。目玉焼きも5分だと半熟ではなくなっていたので全部読みを間違えていた。
  • 本を返して『失われた時を求めて』を借りた そろそろ本の返却締め切りなので昨日急いで『世界民話考』を読み切った。一緒に借りていたウサギについての本2冊はとっくの昔に読み切っていた。明け方あたり小雨が降っていたようだったけれど、10時頃にはかなり晴れてポカポカしていたので徒歩5分ほどのところにある図書館に本を返しに行った。そろそろ『失われた時を求めて』を読んでみようと思って、1巻と『プルーストの部屋』という解説書みたいなのを借りることにした。外国文学コーナーで本を探しているときに『超男性』という澁澤龍彦訳の小説が目に止まったので、これを合わせた3冊借りて帰ってきた。
  • セブイレで紫芋羊羹を二つ買った  小さい羊羹は賞味期限が半年くらい持つのと、通訳の合間は無性に甘いものを食べたくなるので一個はカバンに入れとくようにしている。特に秋から年末にかけて季節限定で販売される安納芋羊羹を好んでいた。安納芋独特のねっとり感と蜜芋の風味を再現していてとても美味しいのだ。ところが、毎年楽しみにしていた安納芋羊羹とついにこの秋出会えなかった! かつて安納芋羊羹がいた場所に今いるのが今日買った紫芋羊羹だ。紫芋羊羹はどっちかというと芋きんのようなホクホク感を強めに感じる。調べてみると今秋も安納芋羊羹の取扱店は所々あったらしいが、私はセブンイレブンに入るたびに羊羹売り場をチェックしていたにも関わらず一つも出会えなかった。非推奨の季節もの扱いになったらしいという噂も小耳に挟んだ。午後の紅茶パンジェンシーのように、安納芋羊羹も静かに姿を消していくのか……
  • 先生宅から駒場リサーチキャンパスまで歩いた そろそろ10年に1度の寒波が来るとかであったかい格好で来たが、お昼はかなりポカポカしていて歩いたら汗ばむくらいだった。高校生総勢50人くらいとすれ違ったと思う。昼に一斉に帰るということはテスト週間なのか?
  • 東大生協ではココアが100円だった 先生によるとめちゃくちゃ熱いらしい。通訳中ドリンクをテイクアウトすることは至難の業なので確認することは叶わないだろう。
  • 芋羊羹と合わせるために緑茶を淹れた 研究室に着いたら汗が引いてきてちょっと体が冷えてきたので温かい緑茶を淹れた。お〜いお茶のティーバッグだったので俳句が書いてあったはずなのだけどなんて書いてたか一瞬で忘れた。緑茶と紫芋羊羹の相性はとっても良かった。
  • ベーコンを買わないといけない ハンバーグを作ろうと思ってメモしたけど今日は結局作らないことになった。でも多分明日作るので明太子買うときに一緒に買った。ハム売り場の前で思い悩んでいるお姉さんがいて、隣のベーコン取るとき気まずかった。
  • 復学届を出さなきゃいけない 今月末締め切りだからマジで忘れないようにしないといけない
  • 今日の夜はハンバーグ 同居人が同期の手伝いのお礼にご馳走になってくるとのことで、ハンバーグではなくかねふくのちょっといい明太子買って帰って晩御飯はたらこパスタに変更。おろし生姜と太白胡麻油で和えるレシピが本当に美味しい。乳化するまでかき混ぜ続けるともっと美味しい気がする。パスタの乳化についていまいちちゃんと理解するタイミングがなくて未だに全部勘でやってる。同時進行で干し芋と大根の味噌汁を灯油ストーブ上で作ったけど、沸騰しなかったので大根があんまり柔らかくならなかった。干し芋の味噌汁は本当に美味しい。

  • 『失われた時を求めて』 鈴木道彦編訳 行きと帰りの電車内でずっと読んでたけど全然進まなかった。しかも借りた本は編訳版で3巻で全貌を把握するタイプのものだと判明した。元のは全部で13巻くらいあるらしいからこれくらい誤差だなと思い、一旦借りた編訳版の方を読み切ってみることにした。 最初に小説を書いた人の見事なところは、人間の情動の装置においてイメージが唯一の本質的な要素である以上、本物の人物をきれいさっぱり消し去ってしまうという単純化こそが決定的な完成となることを理解していた点にある。一人の現実の人間は、どんなに私たちがその人と共感しようとも、その多くの部分は感覚で知覚したものであり、つまりこちらには不透明なままで、私たちの感受性には持ち上げることのできないようなお荷物になっている。不幸がこの人を襲ったとしても、そのことで私たちが心を動かし得るのは、彼について持っている全体的な概念のほんの小部分においてにすぎない。そればかりか、彼自身も自分の不幸を悲しみ得るのは、自分にかんする全体的な概念のほんの小さな部分においてにすぎないだろう。小説家の発見は、魂のはいりこみ得ないこのような部分を、同じくらいの量の非物質的部分、つまり魂が同化し得るものに置き換えてしまおうと考えついたことだった。こうなれば、この新たな種類の架空の人間たちによる行動や心の動きが真実のように思われようと、なんらかまうことはない。私たちはその行動や心の動きを自分のものにしてしまったのだし、また私たちが熱っぽく本のページをめくっているときも、作中人物の行動や気持が作り出されるのは私たちの内心においてであり、それに操られて私たちは思わず息をはずませ、目を輝かせているのだから。そして、純粋に内的な状態では、どんな感動も必ず十倍に拡大されるものだし、小説がまるで夢のように、それも睡眠中に見る夢よりもはっきりしている夢、その思い出が長つづきする夢、とでもいったような形で、私たちの心をかき乱すものだが、こういった状態にひとたび小説家によって投げこまれると、そのときたちまち私たちの心には、せいぜい一時間かそこらのうちにありとあらゆる可能な幸福、可能な不幸が解き放たれるのである。これが実生活だったら、幾年もかけてその幸福や不幸のいくつかのものをやっと知るくらいであろうし、その最も強烈ないくつかは、それがゆっくりと起こるために知覚できず、その結果私たちにはどうしても知り得ないものになっただろう(こんなふうに私たちの心は実生活では変化する。そしてこのことこそ最大の苦痛なのだ。ところがその苦痛を私たちはただ読書を通して、想像の中で知るばかりである。現実では、自然のある種の現象の起こり方のように、心は徐々に変化してゆくものなので、たとえそのさまざまな状態は次々と認めることができるとしても、これとは逆に、変化の感覚それ自体は与えられないのである)。p.102-103
  • ヤムママー用の冷凍シーフードを二袋買った 昨日鶯谷のライフでKOKAというママーですらない袋麺を買って、これでヤムママー(ヤムコカ?)やるために冷凍シーフードを買った。イカが大きいと嬉しい気持ちになるので、イカが大きめのメーカーのを選んだ。

2023年1月16日月曜日

テーマパークの夢

恋人とテーマパークに来ている。
大きな池なのか湖なのか湾なのかよくわからないけれど大きな水辺を水色のトヨタアクアで進んで移動している。
タイヤ部分が浮きになっているらしく、ぷかぷか進む。
調子に乗ってちょっと運転席の窓を開けてみたら、ちょうど大きな波が来て、車が前に大きく傾いて水が少し入ってきた。
水を掻き出す術を持っていなかったので「車が沈むかもしれない」とかなりビビる
とにかく私たちは対岸の駐車場へ急ぐことにした。

駐車場だと思っていた場所はレストランも兼ねていた。
車をおじさんの店員に預けると何かしらの力で車を小さくされた。
その車をレストランで使うようなカートの上に乗せるとぴったりだった。(カートはびっくりドンキーのものに似ていた)
私たちは車と店員と一緒にエレベーターに乗ってレストラン階へ向かった。

レストラン階に着いてエレベーターを出る時、私と恋人の連れとして小さな子どもも一緒に出てきた。
自分が産んだのか、一緒にエレベーターに乗ったのか、子どもについて思い出そうとしてもよくわからない。
身に覚えが無いなと思っていると、おじさんの店員は「私がお前たちのお父さんだよ」と言い出した。
私と恋人は親戚でもなく、急に現れた子どもと私たちに面識はないはずだった。
しかし店員は、自分が母親と子どもたち3人を置いて出て行ってしまったことなどを語り続ける。
老夫婦の座る隣のテーブルを見ると、別の店員が家族の一員のように歓談していた。
老夫婦にはその店員が息子に見えているのかと思うほどである。
なんの策略なのか見当もつかないけれど、私たちを接客している店員の言い分をずっと聞いていると、残された母親の思い詰めた顔が思い出されてきた。
ちらりと様子を伺うと、恋人または兄である人物も同じ顔をイメージしている様子だった。
この店員にずっと家族として接し続けられる中で、本当に客として来た私たちは兄妹で、この店員は私たちの父親だった気がしてきていた。

2023年1月9日月曜日

カブトムシの夢

カブトムシに頬擦りされて、髭面のお父さんに頬擦りされてジョリジョリするのに似てるなと思う夢を見た


確かにカブトムシは脚が体に分散された状態でついているように見える。
昆虫は胸から脚が生えているという定義からすると蜘蛛やダンゴムシみたいに昆虫ではないのかと思いきや、単に胸がでかく腹が小さいということだった。

口の構造について調べようと思ったら思わぬ知識を得た。

2023年1月4日水曜日

ふなばしアンデルセン公園♪

昨日はふなばしアンデルセン公園に満開のアイスチューリップを見に行きました。


入り口入ってすぐの様子。



良い天気!


ふなばしアンデルセン公園とは、千葉県船橋市にあるアンデルセンをテーマにした公園。

最寄駅は北習志野駅のはず。

風車や農家が再現され、まるでアンデルセンが生きた時代のデンマークさながら!

アンデルセン自身とアンデルセン童話についての小さな博物館もあります。



アンデルセンは切り絵も得意だったらしく、いたるところにこの太陽の切り絵が居ました。
ちょっとこわい


マンホールにも……
北風と太陽の太陽?と思いましたが別にそうではないらしい。
(北風と太陽はイソップ寓話でした)
こいつが地球儀のようにぐるぐる回るでかいオブジェもあったんですが写真を撮りそびれました。

















池もあって、ボートにも乗れます。


アンデルセンの時代の農家を再現した建物
なんか小さいものが机の上に並んでたけど柵があったのでこれ以上近づけず。


童話館に展示されていたアンデルセンにまつわるものたち。
ユーモアと想像力で貴族に気に入られていたものの行儀はあんまり良くなかったことが判明。

この童話館では、アンデルセン物語をアニメーションにしたものがいくつも観られます。
私は『雪の女王』を観ました❄︎
探している男の子について、女の子がお花畑の花たちに何か知らないか尋ねても花は自分の話しかしなくて何もわからなかったシーンが良かったです。

ラッキーなことにうさちゃんたちがいました。
本来はふれあいタイムにふれあいコーナーでふれあえるらしいですが、
感染拡大防止のため長らく中止されている模様。


ふてこいうさちゃん
顔が大きい


歩いていくと、公園奥にも再びチューリップスポットが!
こっちがメインかもしれません。


チューリップから伸びる影が面白い


北門付近には岡本太郎による《平和の像》が建っていました。


宝くじの売上金で建てられたんだそう。
初めて買った年末ジャンボことごとく外れてたけどこういうことにも使われるのだね。
手の先にあるのは避雷針?


キッチンカーで売られてたコーヒー
ご丁寧にラテアートしてくれてたけどすぐ蓋して渡してたから気付いてない客多そう。
天気が良かったので、日向はかなりポカポカしていました!

ボート乗り場横のカフェで売ってたデンマーク直送?のパンがどれもおいしくて
コーヒーと一緒にカフェタイム(^。^)


お土産売り場の二重になった窓に写り込むと像がダブって見える!
緑が私で白が次女、左の人は知らない人。


お土産屋さんの中
かなり簡易的な建物に見えたのだけどずっとここでやってんのかな。
右端にいるのがアンデルセンらしい。
目の周りがふくれててちょっとこわい。