今日は学部受験のために作ったポートフォリオを同居人に見せる時間があった。そしたら卒アルトークタイム(卒アルを見せながらエピソードトークをすること。我が家のリビングには卒アルが置いてあり、いつでもエピソードトークにまつわる資料を参照することができる)同様、芋蔓式に色々思い出せて楽しかった。
私は京都の美術予備校にメインで通いながら、夏と冬に短期で東京の予備校に通って受験対策をしていた。京都ではそもそも東京の美大を目指す人はほぼおらず、私の代は分校も合わせて東京第一志望は5人くらいだった。久々に予備校のHPを見たらその年の合格者が300人くらいだったので、生徒は350人くらいはいたのだと思う。約350人中5人、しかも5人の目指す学科はバラバラ、かつ京都の予備校の先生に東京の美大の受験ノウハウがあるわけでもなかったので、自分で東京の予備校の対策内容を偵察する必要があった。それで短期ながら東京の美術予備校で同学科を目指す人たちのクラスに入れてもらい、空いた時間に合格者の参作ポートフォリオやデッサンの再現を見せてもらって「こんな感じでやればいいんだ」という目処がついたところで京都に帰り、割と自力で対策を進めたのだった。
その時のことがわかるインタビューがこれ(長文メールで合格体験記を送ったら「合格者インタビュー」としてインタビュー形式に書き直されていてウケた。回答を元に逆算で質問を作っててすごい)
自力と言っちゃったけど、今ここに自分がいるのは高校の書道の先生に「奥野さんは東京だと思う」と言われたことと、初めて作った作品写真を彫刻出身の予備校の先生に見せたらいたく感動して褒めて伸ばしまくってくれた上に何故か「今年は人間関係がくる!」と大山を当ててくれたりしたからでした。
その学部受験用ポートフォリオには志望動機と別に制作全体を総括するようなステートメント文を載せていた。志望動機は書き間違いとか言い間違いに気づくとはどういうことかという話から始まっていて、ステートメントは自分にとっての一目惚れの定義について書いてあった。どちらも言い過ぎてない文章で、今の自分でも良いなと思えるものだった。そして、志望動機もステートメントも高校の時にちまちま書いてたブログの文章を元に書いたものだったなと久々にブログの存在を思い出した。そのブログは、高校入学前に母から「高校の間に3人くらいとは付き合ったら良いと思う」と言われたことを律儀に守れた結果付き合った3人目の相手がインターネットに精通している人で、その人に教えてもらって始めたものだった。ブログの他にもTwitterは一旦ROMって雰囲気を掴んだほうがいいとか、YouTubeは自分にも投稿できるし閲覧可能範囲も設定可能だとか、Googleアカウントの活用法とか教えてもらった。今インターネットで息するように色々やれているのはこの頃からやって見せてもらっていたからだと思う。
時を現在に戻す。同居人は一目惚れについてのステートメント文を読んで、私のマイブーム到来現象に合点がいったらしい。私が最近せいろが気になるとずっと言っているのを聞かされて、なんで急にある特定のものに興味を持つのか不思議だったようだ。私は昔のポートフォリオの中で、一目惚れを「日常として見逃してきたものにある日ピントを合わせた時に惚れてしまうというか頭から離れなくなる」ことと定義していた。その挙動については今も兼ね同意なんだけど、「一目惚れ」という表現は自分以外の人にとってミスリードを誘うかもとも思った。昔の自分が言いたかったのは、実際のファーストコンタクトではなく、ずっと存在は認識していたはずなのにある日急にアンテナに引っかかること=初めて自発的にピントを合わせた=一目惚れ、ということだ。自発的にピントを合わせるにはまず存在を認知してないといけなくて、実際ハマるかどうかはTPOと自分のコンディションによる……自分でハマるタイミングを選ぶことはできないという点は今読んでる『恋愛の哲学』で紹介されていたキエルケゴールの刹那的な愛(美学的なもの)ってやつに近そうだから「一目惚れ」という表現はあながち間違ってないのかも。この刹那的な愛は偶然任せで自分でコントロールができない以上実は自由なものではないという絶望がある——ということらしいんだけど、これはまさに到来しては去り行く私のマイブームのことだなと思った。今までに去っていったマイブームはメモによると温泉卵作り、『西瓜糖の日々』読みながら寝落ち、味噌の代わりに塩麹溶かす塩麹汁、シンク磨き、切り干し大根などがある。今はメープルシロップ入りカフェオレにハマっていて、せいろが気になっているところ。