2021年2月27日土曜日

芽キャベツのポトフ

日付が変わったにもかかわらずお腹が空いてきたので、芽キャベツのヘタをとって十字に切り込みを入れ下茹でし、新じゃがいもと新玉ねぎと厚切りベーコンと一緒にポトフを作った。
マヨネーズとおろしにんにく、レモン汁、粒マスタードを混ぜて付け合わせのソースも作った。

芽キャベツというものを多分生まれて初めて食べた。下茹でもしていたのでスプーンで切れるほどやわらかくなっていた。普段食べているキャベツとは風味は似ているけれど、普段は芽キャベツのように葉が密集した状態で口に入れることはないので、口に入れられる葉の密度が違うだけでこんなに違うものに感じられるのかと思った。

レシピをネットで調べると同じ料理でもたくさんのパターンがあることがわかる。そういう時は5種類くらいのパターンを見るとその料理の大切な要素がどこにあるのかが掴みやすくなるので、そうなればどのレシピを見てもそこそこ腑に落ちた状態で調理に取り掛かる事ができる。今回は具材の大きさとソースの構成を腑に落としてから挑みました。

2021年2月17日水曜日

喉の痒みにはヨーグルト

 昨日は久々に雨が降っていたので利根川の水位が上がっていた。それに伴い風も強かった。

夕方のどがかゆくて、多分花粉のせいで、2月ってこんなにも春だっけと思った。のどがかゆいときは舌の付け根で擦ると気持ちいいけれど、痒さは癒えず本当にただ気持ちいいだけなので無闇矢鱈にやらないほうが良いです。
なんとなく花粉症に良さそうだから夜ご飯のデザートにヨーグルトを食べた。結構前にスーパーで買ったグレープフルーツより甘みが強い柑橘類とはちみつを混ぜて食べた。結果、ヨーグルトはのどのかゆさには効くことがわかった。ひんやりしているし、飲み込む際のど全体に満遍なく触れるテクスチャーだからだと思う。

2021年2月16日火曜日

色々なこと

妄想の介入しない、文字情報だけで構成された世界を垣間見るためには鍛錬が必要。圧縮に慣れた体には難しいこと。

2ヶ月ぶりに通訳の仕事をしたら、通訳モードではない体の状態で挑んだせいで左右のバランスが崩れたらしく左の背筋が痛くなった。

相変わらず足の小指は左右共に三角形だけれど頂点が点から線になってポキッと取れるようなことは最近めっきりなくなった。

2021年1月23日土曜日

平和

取手駅高架下の市民ギャラリーに小さな子供がかいた絵がたくさん飾られていた。
テーマは「平和」ということで心温まるイメージの絵が多い中、下の方に一点全体的に暗い色の絵があった。真ん中に大きな山があり、山の中腹から山頂部分が輝いているような絵だった。キャプションには「ときどきあらわれたり、きえたりする山」というようなことが書かれていた。
そういう山が存在していることがこの子にとっての平和なのだなと思った。

2020年12月31日木曜日

常夜灯

 最近、寝室の明かりをアイリスオーヤマの調光できて声で操作できるシーリングライトに変えた。
「アイリス、あかりをつけて」と言えば点灯するし
「アイリス、あかりをけして」と言えば消灯してくれる。

しかもそれだけではなくて
「アイリス、じょうやとう」と言えば常夜灯にしてくれる。実家では常夜灯ではなく「豆球」と呼んでいたのであまり言い慣れないけれど、そう呼びかければ薄暗くぼんやりとした暖色系の明かりに切り替えてくれる。

常夜灯にして布団に入ったとき、実家にいた小学生の頃は真っ暗で寝たいというこだわりがあったことを思い出した。
しかし怖がりな妹に頑なに拒まれていた。私的には真っ暗であれば目を開けても目を閉じているような状態になるので、眠りに落ちるまでの間がんばって目を瞑る筋力が要らず楽だったからどうしたものかと思っていた。ある日、私は常夜灯をつけると天井にできる影が勾玉型になることに気付いた。妹に「豆球点けると天井におばけがうつるよ」と言って怖がらせて、「真っ暗にした方が良い」という考え方にさせる作戦を取った。この作戦は大成功で、お互いが天井のおばけの話を忘れるまでの間、部屋を真っ暗にして寝ていた、気がする。多分この作戦を実行した時が1番こだわりが強くて、だんだんこだわりが薄らいでどっちでもいいと思うようになったので、時々妹が思い出して怖くなってきたら真っ暗にしていたような気もする。

実家にあったライトは「豆球」と呼んでいただけあって小さな豆電球みたいなものが別でついているタイプで、その1点から灯すようになるので天井に影ができていたけれど、今の寝室にあるライトの常夜灯は全体的にぼんやりと明るくなるので任意の形に見える影は発生しない。

この部屋の天井は真っ白なので、木目が顔に見えるようなこともない。

そういえば、浴室内に鏡がないので、鏡越しに何かが見えるとかいう心配もない。

あとここは2LDKの団地だから、夜、闇に包まれたリビングの闇から逃げるように一段飛ばしで寝室まで階段を駆け上がる必要もない。

大きくなったから怖い思いをすることが減ったように思っていたけれど、怖いものを想像させるような要因自体が生活から消えているだけなのかもしれない。