いきなり寒くなった。朝起きてすぐ、昨日の残りの豚ヒレ肉の赤ワイン煮を温めて食べた。豚ヒレ肉は、筋や脂身といったノイズがなさすぎる。小さい頃の私は、脂身をはじめとするいろんな噛み心地が予測できない形で訪れるのがストレスで、肉があまり得意じゃなかった。なのでノイズが比較的少ない、ヒレ、ハラミ、タン、ささみ、ひき肉を好んで食べていた。ヒレは普段トンカツでしか食べていなかったけれど、煮込みにするとノイズの少なさがさらに際立つなと思った。ただ煮込みすぎると固くなってしまうので、在宅ワークや制作の合間にコトコト煮込み続けるような料理には向いていない。そこはちょっと残念ポイントではある。
図書館に予約していた本の取り置き期限が迫っていたので、取りに行った。先週3冊借りてきたんだけど、その数日後に、さらに1冊準備ができたと留守電が入っていた。3冊で全部だと思っていたので、何を予約したのか全く思い出せず、取りに行くモチベーションもあまり上がらないままだったのだ。今日やっと重い腰を上げて、車で少し遠い図書館まで取りに行った。取り置きされていたのは、ユハニ・パッラスマーの『建築と触覚ーー空間と五感をめぐる哲学』。心当たりは全くなかった。
貸出の手続きが終わって目次をパラパラ見てみても、依然として心当たりはない。でも新鮮に面白そうだなとは思ったので、昔気になって図書館のウェブサイトでカートに入れていたものを、今回一緒に予約申請したのかもしれない。
ユハニ・パッラスマーは、フィンランドを代表する建築家らしい。かなり読みやすい本で、数十分で1/3ほど読めた。パッラスマーは本の中で、五感のうち視覚に過度に依存している現代の視覚中心主義を批判し、目も耳もすべての感覚器官は元々皮膚であり、触覚から派生した感覚なのだと説いている。
先に読んだ解説によると、パッラスマーはドアハンドルのデザインに力を入れていたらしい。解説の冒頭には「本書『建築と触覚』は、まるで建物の『握手』を差し出すドアハンドルのように、フィンランドの建築家で教育者、批評家であるユハニ・パッラスマーの手を握る機会を差し出す」とあった。たしかに、建物から突き出すドアハンドルは、握手のために差し出された手のように感じられる。そしてこの本もまた、ドアハンドルと同じように、パッラスマーが差し出した握手の手のようなものらしい。
記憶を辿る限り、私は考え抜かれたドアハンドルを握ったことがない気がする。観賞用に公開されている建物は、大体すべての扉が開けられたまま固定されているからだ。開け閉めすると劣化も早まるし、仕方のないことなのだとは思う。だけどこれまで、貴重な建物とのインタラクションの機会が奪われていたことに、私は気づいていなかった。
私はあらゆる作品を「思索.zip」として受け取っている。何を見せて何を見せないのか、どこに力点を置いているのか。作者が力を入れた部分はもちろん、逆にこだわっていない部分もひとつの情報になる。だからこそ、解説にいくつも掲載されていたドアハンドルのスケッチを見て、こんなにこだわりを重ねた末に出来上がったドアハンドルはどんなものなのか、とても気になった。人間との握手と同じくらい、一瞬でさまざまな情報が伝わってくるのか。あるいは、全くノイズのない豚ヒレ肉のような洗練なのか。
