「普段はこの暗室でイメージと戯れています」とある写真家が言っているのを聞いて、理屈はわかるけど実感としてはあまりわからないことだなと思っていた。
けれど、今日アミ点加工をした写真の粒を放流するプロトタイプを作ったら粒がふよふよ漂う様子をずっと見ていられる自分がいて、こういうことなのだろうかと自分なりに腑に落ちた。
寝る前に「粒を放流する」と書いたけど、今朝起き抜けに紅茶を淹れたらティーバッグの中を茶葉が踊っていて、こっちのが近いなと思った。
世界中にばら撒いているというよりは、粒がその場をそっと離れる(逆にイメージに向かっている最中かもしれない)ところを目撃する。