2022年1月1日土曜日

半年前くらいの文章


 換気というものはせっかく部屋を涼しくしたり暖めた努力を水の泡にしているような気がしてあまり気が進まない。学校では口酸っぱく換気をしろと言われたものだがどれほど大切なのかと調べてみると、人間1人は1時間で呼吸に約6畳間分の空気を使うらしいと書いてあった。つまり自分の部屋に1時間いるだけでその部屋の空気全てが1回私を通っているということらしい。その間二酸化炭素濃度は高くなっていき、そりゃだんだん眠くなるわけだ。私の部屋は部屋として特段広いとは思えないが、ここにある空気全部を吸うものとしてみるととても量が多いように感じる。多分スキューバダイビングをするときに背負う酸素ボンベの大きさと比べてしまうからだろうが、空気には色々混じっている上に圧縮もされていないのでそりゃそうかそうなのかとも思う。


 《部屋/形態》において絵具は部屋の中から流出することはない。その映像は完全変態の昆虫が厚いさなぎの殻の中で体の中身をすごい勢いで作り替えていく様を想起させた。

 水にインクを垂らせばインクの粒子は自然に拡散し水の中に広がっていくように、自然界では物質の状態は全て乱雑さが大きくなる(エントロピーが増大する)方向に動く。そのため生物は皆、無秩序さを減少させて生態を維持しようとし続けている。しかしさなぎという状態は外界からシャットアウトすることで自分の体の組織をさなぎ内で作り替えることに集中する。つまり自然界から閉じこもることにより己の秩序を保ちながら変化していくのである。

 窓を開ける(換気する)ということは、エントロピーが増大する不可逆なことであると言える。しかし、《部屋/形態》に登場する部屋は窓はあるものの開く兆しは無い。先ほどのさなぎのように、密室状態である。その密室内で絵具たちは蠢き自らを作り替え続ける。ただ、さなぎと異なるのは羽化という終焉がないということである。巻き戻しという映像の特性を用いることで、《部屋/形態》はさなぎであり続けることが可能になる。


 一方ぬいぐるみというものは負のエントロピーの究極に近い状態と言えるだろう。散逸構造と無縁のぬいぐるみにとっては、表面に現れている色や形がその全てであり、詰め込まれている綿やビーズは内側からそのシルエットを補強するものにすぎない。内側と外側からの圧力差で、その外側の表面にぬいぐるみはあらわれる。

 似て非なるものに着ぐるみがある。着ぐるみはウレタンやセシーナでキャラクターの外骨格を作るが、何よりの違いは中に人間が入るということである。空っぽの中身に人間という筋肉や内臓器官を補填することで命を宿すのだ。一方、人間サイドからするとそれは最小単位の密室だと考えることもできる。私は試作品の着ぐるみに入ったことがあるが、試作品だったので目は開いておらず、入るとそこは薄暗い個室のようだった。外からの声に任せて身動きを取ってみるけれどだんだん声の方向があやふやになってどっちが前でどっちが後ろなのかよくわからなくなった。進みたい方向や向きたい方向という欲望が私の内から無くなると、外の世界における「前」という概念は無意味なものに感じられた。それはただ私はここに立っていて、どんな方向を向いても目の前にはスポンジの壁が見えるという事実だけが確固たるものとして理解できる状況である。