信頼:信じて頼ること。たよりにできるとして信ずること。
人間誰しも床があって壁があって屋根がある部屋の中に1日の大半いることが多いんじゃないか。床も壁も屋根も誰か人間が作ってくれたものでそれに発生する信頼も人間の間だけで完結しているものなので、なんの保証があってこんなものを信用しないといけないのかと思う。けれど私も人間で、人間中心に回る社会では文明とか何もかも信頼していることにして信用しないと生きていけないので今日も心を無にして常磐線に乗る。いやでも移動する床と壁と屋根(即ち電車)なんて部屋に比べても遥かに全然信用ならんだろ...
私が今住んでいる日本列島は地震も津波も土砂崩れも氾濫もあるから信用というよりは(祈りという意味で)信頼をしているような気がする。自分よりも(本当はダイナミックだとしても)ゆっくりとした時間の進み方をしていればしているものほど手放しに信頼できる。
(この信頼は完全に一方的なものであり、ゆっくりゆっくり裏切られている可能性の方が高いことも分かっている)→(その裏切りはどう考えても私たちの手に負えないものであるので、祈り・屈服することしかできないという分かりやすい諦めをさせてもらえる)→(逆に信用できる)
つまり地球しか信用できない。でも地球のこと信用するためには、一方的に信頼して、大きすぎて目には見えにくい裏切りのことはわからないふりをし続けないといけない。